予定表コラム集

H23.12 H22.12 H21.12 H20.12 H19.12 H18.12 H17.12 H16.12 H15.12 H14.12
H23.11 H22.11 H21.11 H20.11 H19.11 H18.11 H17.11 H16.11 H15.11 H14.11
H23.10 H22.10 H21.10 H20.10 H19.10 H18.10 H17.10 H16.10 H15.10 H14.10
H23. 9 H22. 9 H21. 9 H20. 9 H19. 9 H18. 9 H17. 9 H16. 9 H15. 9 H14. 9
H23. 8 H22. 8 H21. 8 H20. 8 H19. 8 H18. 8 H17. 8 H16. 8 H15. 8 H14. 8
H23. 7 H22. 7 H21. 7 H20. 7 H19. 7 H18. 7 H17. 7 H16. 7 H15. 7
H23. 6 H22. 6 H21. 6 H20. 6 H19. 6 H18. 6 H17. 6 H16. 6 H15. 6
H23. 5 H22. 5 H21. 5 H20. 5 H19. 5 H18. 5 H17. 5 H16. 5 H15. 5
H24. 4 H23. 4 H22. 4 H21. 4 H20. 4 H19. 4 H18. 4 H17. 4 H16. 4 H15. 4
- H23. 3 H22. 3 H21. 3 H20. 3 H19. 3 H18. 3 H17. 3 H16. 3 H15. 3
H24. 2 - H22. 2 H21. 2 H20. 2 H19. 2 H18. 2 H17. 2 H16. 2 H15. 2
H24. 1 H23. 1 H22. 1 H21. 1 H20. 1 H19. 1 H18. 1 H17. 1 H16. 1 H15. 1


平成24年 4月

    【6年間有難うございました。】  県立水泳場 場長 石川龍三

平成18年4月当水泳場場長に就任以来、6年間毎月このコラム欄に下手な文を載せてきましたが、今月(平成24年度4月号)をもちまして最終とさせて頂きます。平成2年開館した県立水泳場を利用する側として、平成3年全国高校総体優勝・バルセロナオリンピック合宿・日本新記録樹立第一号等いろいろな経験をさせてもらいました。水泳コーチ「石川龍三」を育ててくれたのは県立水泳場と言っても過言ではありません。その水泳場で6年間も場長をさせて頂いたことは、水泳場との深い縁を感じさせて頂くと同時に、関係者の皆様には感謝の気持ちで一杯です。最後はプールが営業中止のままで悔いが残りますが、これも大きな改修工事なので長い目で見れば水泳場の為だと思います。この水泳場で知り合うことができた多くの皆様、本当に6年間有難うございました。

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平成24年 2月

      【2012年 謹賀新年】  県立水泳場 場長 石川龍三
2012年明けましておめでとうございます。今年は4年に一度の閏年、4年に一度のアメリカ大統領選挙、そしてオリンピックです。我々の水泳仲間(コーチ・選手)は4月のオリンピック選考会を目指し、年末年始はクリスマスも正月も全く関係なく、合宿の連続で練習漬けの毎日でした。実はこの静岡県立水泳場には、オリンピック選考会直前の3月に合宿で専用使用させてほしいと、多くの団体からリクエストが入っております。しかし現在、県立水泳場はこの様な状況なので、皆様のお役に立てず誠に申し訳なく思っております。未だに具体的な復旧工事の日程も決まらず、我々としましては県サイドの強力なご支援、1日も早い再開を願うばかりです。

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平成24年 1月

   【平成23年度内プール営業中止】  県立水泳場 場長 石川龍三
本年9月21日に襲来した台風の影響により、プール営業ができない状況が続いています。
静岡県体育協会としましては、屋根の仮防水などの応急改修工事の実施を静岡県にお願いして早期の営業再開に向け努力を重ねてきましたが、静岡県より応急改修工事では効果や安全性に問題ありと判断されました。したがって、利用者の皆様の安全確保が出来ないままでは早期のプール営業再開を断念せざるを得ません。誠に申し訳ありませんが23年度内のプール営業を中止とさせていただきます。なお、今後の復旧対策については静岡県が実施することとなりますが、再開には相当の時間が必要との事です。誠に心苦しい次第ですが、御理解の上、御承知下さいますようお願い申し上げます。 

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平成23年 12月

  【ご迷惑をおかけします。】  県立水泳場 場長 石川龍三コラム
9月21日に発生した台風15号により、当水泳場も大きな被害を受けました。強風により、南側屋根材が多数吹き飛ばされ、剥がれた屋根材がトップライトの天窓を直撃し、ガラスの破片が館内に散乱しました。雨漏りもして、館内は水浸しになりました。そんな訳で当分は臨時休館とさせて頂きます。安全が確保できれば、トレーニングルームは早い時期に再開したいと思います。(10月1日より再開しました。)プールにつきましては、大掛かりな修復工事に長期間要するかと思います。御利用者の皆様方には大変ご迷惑をおかけし申し訳ございません。一日でも早く営業再開できる様努力致します。

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平成23年 11月

  【ご迷惑をおかけします。】  県立水泳場 場長 石川龍三コラム
9月21日に発生した台風15号により、当水泳場も大きな被害を受けました。強風により、南側屋根材が多数吹き飛ばされ、剥がれた屋根材がトップライトの天窓を直撃し、ガラスの破片が館内に散乱しました。雨漏りもして、館内は水浸しになりました。そんな訳で当分は臨時休館とさせて頂きます。安全が確保できれば、トレーニングルームは早い時期に再開したいと思います。(10月1日より再開しました。)プールにつきましては、大掛かりな修復工事に長期間要するかと思います。御利用者の皆様方には大変ご迷惑をおかけし申し訳ございません。一日でも早く営業再開できる様努力致します。

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平成23年 10月

 【デンマークチーム大活躍そのA】  県立水泳場 場長 石川龍三コラム
先月は世界水泳女子100m自由形優勝のジャネット・オッテセンを紹介しましたが、今月はもちろんデンマークのエース、ロッテ・フリスです。女子800m自由形は終始レースを引っ張りましたが、最後の50mで世界記録保持者アドリントン(イギリス)に逆転され、惜しくも2連覇はなりませんでした。しかし女子1500m自由形では、レース当初より他選手を圧倒し、まったく危なげなく王者の貫録で優勝しました。この1500m自由形については、静岡での合宿中に、パウルスコーチより練習計画・練習内容等、事細かに聞いていましたので、まったく練習通り泳ぐマシンのようで安心して見ていられました。そして来年はいよいよオリンピックイヤーです。1500m自由形はオリンピック種目にはないので800m自由形での勝負になりますが、さらなる飛躍と金メダル獲得を心より祈念致します。

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平成23年 9月

   【デンマークチーム大活躍その@】  県立水泳場 場長 石川龍三コラム
世界水泳が閉幕しました。今回は正直な所日本選手の結果よりも、デンマーク選手の結果が大変気になりハラハラドキドキの毎日でした。そして結果は、わずか6名の選手団で、金メダル2・銀メダル1・入賞5という素晴らしい結果でした。中でも一番の興奮は、ジャネット・オッテセンの女子100m自由形でした。2008年北京五輪・2009年ローマ世界水泳での100m自由形入賞実績が有り、静岡での合宿中も好調でしたので、できればメダルに絡んでほしいと思い観戦していました。予選・準決勝と53秒台のベストタイムを出して4番残りでの決勝でした。決勝は50mを3番で折り返し、ラスト15mから抜け出てゴール。53秒45の自己新記録で優勝。10月に結婚を控え大きな偉業を残したジャネットに大きな拍手を送ります。


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平成23年 8月

    【デンマークチーム強化合宿】  県立水泳場 場長 石川龍三コラム
7月8日〜7月19日までデンマークのナショナルチームが、中国(上海)で行われる第14回世界選手権の為、事前合宿を当水泳場で行います。この予定表が発行される頃には、まさに熱の入った世界トップレベルの練習を見る事が出来ると思います。参加メンバーは女性選手5名・男性選手1名の計6名です。6名中4名が2008年北京オリンピックあるいは2009年ローマ世界水泳に於いて入賞実績のある選手たちです。その中でも大物はロッテ・フリス(23歳)です。2008年北京オリンピック800m自由形銅メダル・2009年ローマ世界水泳800m自由形金メダリストです。当水泳場も20年経過しましたが外国チームの合宿は今回が初めての試みで我々も大変楽しみです。

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平成23年 7月

【第66回 山口国体シンクロ静岡県代表選手選考会】 県立水泳場 場長 石川龍三コラム
5月8日(日)当水泳場に於いて、今年の国体シンクロ静岡県代表選手を決める選考会が行われました。選手対象は中学3年生から高校3年生までで、4名の選手がそれぞれパートナーを変えて(例えばA選手とB選手・A選手とC選手)演技を行い、ベストなペアを選考するという方法で行われました。実はこの4名の選手達は、毎日県立水泳場で練習に励む普段は仲の良い仲間ですが、そこは勝負の世界の厳しさです。2名が選考され、2名が落選となりました。今回は4名のレベルが高く、選考する側も相当苦労したようです。悔し涙を流した2名はこの悔しさをバネに、次回の目標に向け、より精進していくことでしょう。選考された2名の選手は、静岡県代表で満足する事なく全国で戦うという強い気持ちを持って練習に励んでほしいと思います。

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平成23年 6月

    【ゴールデンウィーク強化合宿】 県立水泳場 場長 石川龍三コラム
今年も4月29日からゴールデンウィークがスタートしました。今年は自粛ムードの中いろいろな意味で、大変なゴールデンウィークであったかと思います。我々水泳人は昔からゴールデンウィークと言えば強化合宿となります。夏のシーズンへ向けこの連休を利用し、もう一度しっかり泳ぎ込みを行います。ここ県立水泳場でも、中央大学・関西大学・そして地元の中高生が朝から晩までプールを空けることなく泳いでいます。(1日15000m〜16000m位泳ぎます)私も中・高・大学とこの時期は合宿の連続でした。当時は立派な室内プールなどありませんから、学校の外プールでの練習でした。水温17〜18度の水で震えながらの練習は大変でした。今の皆さんは恵まれた環境の中で練習や競技会が出来る事に感謝し、頑張って下さい。

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平成23年 5月

     【平成23年度スタート】  県立水泳場 場長 石川龍三コラム
平成23年度、新しい年度のスタートです。当水泳場も開館より20年の歳月が経過し、不具合な箇所も数多く出て来ております。1月・2月と膜天井及び屋根雨漏り改修工事を行いましたが、それで全てが解決した訳ではありません。まずは安全面を第一優先としましたが、他にもいろいろあります。予算等の関係上、一挙に改善する事は無理がありますが、少しずつでも改善の方向へ努力していきたいと思います。同時に我々スタッフ一同も、20年前に県立水泳場を設立した趣旨を思い出して原点に立ち戻り、充実した水泳場運営を目指し頑張っていきます。23年度も何卒よろしくお願い致します。

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平成23年 4月

    
 【営業再開】  県立水泳場場長 石川龍三コラム
2ヶ月間の長期間にわたりご迷惑をおかけしましたが、3月1日から営業再開致しました。プール内工事(幕天井設置)は全て終了し、外部工事(雨漏り箇所屋根工事)につきましては、一応3月15日終了予定で順調に進んでおります。県立水泳場は今年度20周年を迎えましたが(3月19日 土曜日 20周年イベント実施)、実はオープン当初から雨漏りがあり、天井裏はブルーシートで雨水をキャッチして湿気を防ぐ等の対応をしてきました。今回初めて大きなメスを入れましたので、これからは安心してご利用して頂ける事と思います。今後も宜しくお願いします。

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平成23年 3月
   
    【天井改修工事の説明】  県立水泳場 場長 石川龍三コラム
2011年はスタートからプール使用ができず、皆さま方には大変ご迷惑をおかけしております。今月号では今回の天井改修工事について、簡単に説明させて頂きます。工事は大きく分けて2つの工事を行います。1つ目は、2009年8月11日に起きた地震によって落下してしまった“ルーバー”(空気及び明かりの入れ替えの為の羽)の代替えとして、より安全で機能性の高い膜天井を取り付けます。2つ目は、本体も20年を経過し(3月19日土曜には20周年記念イベント予定)、雨漏りが酷く天井落下の原因になっておりますので、雨漏り箇所の修繕を行います。2ヶ月間のプール営業停止という事で、大変ご迷惑をおかけしますが、より安全・快適に御利用して頂く為ですので、御理解・御協力をお願い申し上げます。

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平成23年 1月

   【アウン・サン・スー・チー】  県立水泳場 場長 石川龍三コラム
最近の国際ニュースの中からミャンマーの事に触れてみます。民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんの、自宅軟禁解除に合わせ、次男キム・エアリスさんとの10年ぶりの再会など、スー・チーさんがマスコミに登場する機会が多く大変懐かしく拝見しております。1993年10月〜1996年3月までミャンマーで過ごしましたが、毎日スー・チーさんの自宅前を通り水泳場まで通勤していました。演説の為に自宅前に立ったスー・チーさんを目の前で見た事もありますが、当時から15年も過ぎているのに、今だにしゃきっとした姿勢・美しさは変わりません。「ビルマ独立の父」アウン・サン将軍の娘さんであり、アジアの女性として初めてノーベル平和賞を受賞した人です。強力な軍事政権は理不尽な事が多くスー・チーさんがどう軍事政権と対面し変化させていけるのか、民衆の期待は大きいです。


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平成22年 12月

   【ワールドカップ東京大会】  県立水泳場 場長 石川龍三コラム
ワールドカップと言えば、皆さんサッカーのワールドカップが思い浮かぶと思いますが、他の競技団体でもワールドカップはあります。もちろん水泳もFINA(国際水泳連盟)ワールドカップが昔からあります。冬のシーズン短水路(25mプール)で競技会が開かれ、各国を転戦し最終的には、各競技会のポイントを合計して総合チャンピオンが決まります。今回、10月20日・21日の両日、計7戦のうちの4戦目という事で東京大会が開催されました。(日本開催は初めて)私も杉山沙侑南選手を引率して参加しました。今回はあまり良い練習が出来ていませんでしたが、なんとか初日の100mは第7位入賞(高校生唯一の入賞者)。2日目の50mは第5位入賞でした。50mは上位3名が外国人選手だったので、日本人選手の中では2番でした。決勝は世界記録保持者の隣のコースでしたが、気おくれする事もなく、まずまずの結果でした。


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平成22年 11月

  【一般開放コースと専用使用コース】  県立水泳場 場長 石川龍三コラム
夏の長水路(50mプール)シーズンが終了し、これからは冬の短水路(25mプール)シーズンに入ります。昔と違い現在の水泳は、一年を通じてのスポーツになっております。もちろん夏の大会がメインとなりますが、その夏に良い成績を上げる為には、これからの冬シーズンの練習が大変重要になってきます。そんな訳で毎年冬に入ると、専用コースを希望する団体チームが増えてきています。今現在も希望コースを全て受ける事は不可能で、各団体公平にコース数の減をお願いしております。一般開放のお客様からは「専用コースが多すぎる」という声もあります。一方専用使用のお客様からは「1コースに2〜3名しか泳いでおらず、
専用コースを増やしてほしい」と言う声もあります。それぞれ思いはあると思いますが、
お互いを理解し合いやさしい気持ちで、御利用していただけると有り難く思います。    

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平成22年 10月

     【沖縄インターハイ】  県立水泳場 場長 石川龍三コラム
8月16日〜21日全国高校総体へ杉山沙侑南のコーチとして参加してきました。彼女にとっても私にとっても、どうしてもほしいインターハイチャンピオンの座であり、緊張感を持っての参加でした。昨年冬からの練習が順調に出来た事もあり、今シーズンは春先から好調で各大会での成績も好結果の連続でした。そのため、周りからの期待も大きくプレッシャーもありました。さらに東海大会後、熱中症で体調を崩した事もあり、多少の不安を抱えての参加となりました。初日の200mで思うような結果を出せず、2日後の100mでした。200m後の2日間、彼女の言動、落ち込む事なく大変しっかりしておりました。これなら大丈夫と確信し、100m予選から決勝への作戦も(予選から決勝まで1時間と短い)うまくいき、見事優勝。私にとっても、4人目のインターハイチャンピオンであり、沙侑南の事を大変誇りに思います。


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平成22年 9月

       【標準記録】  県立水泳場 場長 石川龍三コラム
先日7月23日・24日・25日東海高校総体(全国高校総体予選)が、そして7月27日・28日静岡県中学総体(全国中学総体予選)が開催されました。水泳競技はタイムスポーツで、全国大会出場には標準記録を突破しなければいけません。全国ジュニアオリンピック、日本選手権、そしてオリンピックに至るまで、すべて標準記録です。そのため大会会場では、自己ベストタイムで泳いだり表彰台で表彰されたりして、笑顔いっぱいで喜ぶべき状況であるにも関わらず、後一歩のところで標準記録を切れずに、悔し涙を流している選手をよく目にします。私も、2000年シドニーオリンピックの出場をめざした男子200M自由形の選手が0,01秒標準記録を切れず、一緒に大変辛い思いをした経験があります。この夏、厳しい標準記録を突破し全国大会へ出場される選手の皆さんの活躍を祈ります。


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平成22年 8月

    【ハングリー精神で成長】  県立水泳場 場長 石川龍三コラム
日本の国技、大相撲界が大変な事になってきました。名前も続々と挙がっていますが、その中に外国人力士は一人も含まれていません。彼らは「日本に行って強くなりお金を稼ぎ、国の親・兄弟を楽にさせよう」とハングリーなのでしょう。ギャンブルなどする余裕はないはずです。私が指導したフィリピンのような発展途上国は貧富の差が激しく、私が指導した競泳選手は裕福な家庭が多かったです。それに引き換え、飛込選手は田舎(崖から飛込んで遊んでいる中から、将来性豊かな子を発掘)からナショナルトレーニングセンターに連れられてきた子供が多く、国から支給される強化費も田舎の親に送金していました。飛込の中国人コーチは厳しく、時々「やめたい」と言う子供もいましたが、説得は簡単です。「飛込やめて帰ったら、弟・妹のお米はどうするの?」実にハングリーなのです。そんなハングリー精神で頑張った子供の中から、東南アジア大会の金メダリストが生まれています。
  

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平成22年 7月

  【ジュニアオリンピックで感じた事】  県立水泳場 場長 石川龍三コラム
前回ジュニアオリンピックの選手参加数の多さ、そしてそれは日本人コーチのすばらしさである事を書きましたが、もう一点感心した事がありました。それは、ものすごい人数なのに、男子更衣室トイレのスリッパがいつも整頓されていた事です。参加選手が自主的にスリッパを揃えているのです。私がちょうど目にして声を掛けた子は、水泳の名門・和歌山北高校の生徒さんでした。私はこの光景に20年前を思い出しました。平成3年の静岡インターハイを目標に、この県立水泳場で強化合宿を数多く行いましたが、当時日大三島高校の藍川康二君がトイレのスリッパを揃えていました。私が褒めると、康二君は「僕、来年のインターハイ絶対優勝したいです。いい運もほしいです。」と答えました。そして翌年、200m自由形で見事優勝、高校日本一になりました。強い水泳静岡復活はこの辺からの教育かも知れません。


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平成22年 6月

   【日本のコーチはハイレベル】  県立水泳場 場長 石川龍三コラム
3月末杉山沙侑南選手を引率し、全国ジュニアオリンピック大会に20年ぶりに参加して来ました。この大会は全国のジュニアスイマー(小学生〜高校生)達の大きな目標・あこがれの大会です。全国から標準記録を突破した選手が参加しましたが、この参加選手の多さ(5200名)にビックリです。会場の東京辰巳国際水泳場は観客席から練習プールまで、まるで朝の満員電車です。50mの練習プールは選手の列が30m程続き、泳げる距離は15m〜20mまったくウォーミングアップになりません。参加標準記録は各県トップクラスでもそんな簡単に切れるタイムではありません。にもかかわらずこれだけの選手の参加です。日本のジュニアは世界的にも高レベルに位置しますが、これも勤勉で肌理細かな指導を行う日本人コーチならではのすばらしさです。全国で活躍するコーチの皆様に頭が下がります。


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平成22年 5月

    【ジャパンオープン2010】  県立水泳場 場長 石川龍三コラム
第51回日本短水路選手権(ジャパンオープン)が参加26ヵ国という過去最高の参加国で盛大に開催されました。今まで私はこの大会には、外国選手の世話役という立場で参加していましたが、今年は世話役プラス昨年から指導している杉山沙侑南〔日大三島〕のコーチとして参加しました。杉山選手は中学日本一だった選手でタレント性豊かな選手です。私としても、そんな選手を指導しての全国区デビュー戦ですのでそれなりの結果は出したいと考え計画・指導してきました。練習ではかなりの手ごたえを感じていましたが、不安は水着です。国際大会なので新ルール、昨年までの高速水着は使用できません。案の定大半の選手が記録を落とす中、杉山選手は50M・100Mのベスト記録を更新(県新)、50Mは7位、100Mは5位入賞してくれました。夏のシーズンが楽しみです。     


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平成22年 4月

     【コーチの責任】  県立水泳場所長 石川龍三コラム
冬の祭典オリンピックが閉幕しました。開幕前から国母選手の服装問題等話題満載でした。国母選手の服装については、私も世間の皆さんと同じ思いですが、同時に同行していたコーチの責任を強く感じます。なぜ注意しなかったのか?選手に遠慮して注意できなかったのか?我々の水泳界でも、若年者でも一流になれる競技性から、時に若くして周りから“チヤホヤ”され大成せず中途半端で終わった例もあります。たまたま他の子たちより速く泳げただけで、人間性とはまったく無関係。単に速く泳ぐだけなら、魚の方がよっぽど早く泳ぎます。国母選手も幼い頃より抜群の技術だったと聞きます。でもそれは単にスノーボードがすごかっただけにすぎません。指導者はその辺の所を履き違えてはいけません。


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平成22年 3月

     【頑張れ外国人選手】  県立水泳場所長 石川龍三コラム
大相撲の初場所は白鵬が崩れ、朝青龍25回目の優勝で幕を閉じました。プロの世界(大相撲・野球)でも、アマの世界(陸上長距離・バスケットの中国人留学生)でも外国人選手が大活躍しています。外国人選手については、いろいろな角度から賛否両論いろいろな意見がある事は当然かと思います。私の場合は自分自身の長い海外生活から、言葉・文化・習慣の違う異国の地で暮らす事が、どれだけ大変な事か身をもって体験しましたので、異国の地日本で頑張る外国人選手達を応援する側になってしまいます。冬の恒例駅伝中継インタビューに、流暢な日本語で答えるアフリカ人選手。あるいは高校生選手ですと、たどたどしい日本語でのインタビュー。しかしどの選手からも、ギラギラと光る瞳・純粋さが伝わり、理屈抜きで「辛いことも一杯あるだろう。でも頑張れ!」そんな気持ちにさせられます。


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平成22年 2月

     【謹賀新年】  県立水泳場所長 石川龍三コラム
2010年明けましておめでとうございます。本年も職員一同、皆様に愛される水泳場をめざし頑張りますので、宜しくお願い申し上げます。皆様、年末年始はどのようにお過ごしでしたか?私のフィリピン生活での年末年始を紹介します。フィリピンではクリスマスは1年間で1番重要な行事です。そんな訳で水泳大会はすべてクリスマス前までに終了するよう日程が組まれ、クリスマス週間はパーティー(二日酔い)の連続です。それから大晦日の花火も盛大です。私はマニラの高層マンション(19階)に住んでいましたので、部屋で一杯やりながら目の前に打ち上がる花火ショーを楽しんでいました。そして元旦の朝から練習です。クリスマスに比べ正月も何もないので、練習は何ら抵抗なく当たり前の様に実行できました。


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平成22年 1月

  【 忘れられない香港九龍公園水泳場】  県立水泳場所長 石川龍三コラム
比での指導では何かと手のかかる男子選手の代表格ティミー・チェアの五輪出場獲得は大変難産でした。いくつかの挑戦に失敗し、最後のチャンス香港の大会に出場しました。そして100m平泳ぎで見事五輪参加標準記録B(1国1名)を突破しましたが、海外の大会では時に粋な計らいがあります。その時もゴール後、審判長がマイクを持って「ただいま4コースを泳いだティミー選手は、フィリピンから五輪出場を目標に参加してくれました。そして見事五輪出場権獲得です。ティミー選手おめでとう。」会場は拍手喝采です。そして少し静まるともう一言「スタンドをご覧下さい。ティミー選手のコーチは、日本人コーチの石川さんです。石川さんおめでとう。」又拍手喝采。周りの人達から拍手・キスの祝福を受け、胸が熱くなり涙が止まりませんでした。


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平成21年 12月

 【フィリピン水泳事情 ティミー・チュア】 県立水泳場所長 石川龍三コラム
比での指導では、頑張り屋の女の子に比べ、さぼりなど何かと手のかかるのが男の子でした。2004年アテネ五輪100m平泳ぎに出場したティミーもその中の1人です。小柄なフィリピン人が多い中、身長182cm・スラリと伸びた長い手足・恵まれた体型をしていましたが、練習嫌いはピカ一で、2つ年下の女子同じ平泳ぎのジェニーに練習中は負けてしまう事もしょっちゅうでした。自分の才能を過小評価している為に「オリンピック」に対する意識はゼロ、したがって競技力向上意欲・練習意欲も大変低いものでした。そんなティミーの長所はやさしさです。特に母親に対するやさしさ、気配りは素晴らしく「ティミー次の大会、何秒出たらお母さん喜ぶぞ」この言葉が一番の良薬でした。


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平成21年 11月

 フィリピン水泳事情 ジェニー・ゲレロA】 県立水泳場所長 石川龍三コラム
ごく普通の中学生ジェニーがわずか1年間でオリンピック選手になってしまった秘密とは?ジェニーは典型的なフィリピン女性です。フィリピン女性の特徴は忍耐力に優れ、働き者・頑張り屋です。ジェニーも超1流の頑張り屋でした。朝練習の為に私は4時30分プール着ですが、ジェニーはすでに来ていて隣の真っ暗闇のグランドを黙々と走っています。岩崎恭子のオリンピック前の練習「50m×30本」の内容を見せれば、その平均タイムを目標に20本目くらいまでは同じタイムで泳いできます。とにかくフィリピン女性はよく頑張ります。フィリピンでの8年間で女の子を叱った記憶がありません。さぼり等問題を起こすのは決まって男の子でした。


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平成21年 10月

 
 【フィリピン水泳事情 ジェニー・ゲレロ@】 県立水泳場所長 石川龍三コラム
比での指導でびっくり伸びたNO.1はジェニー・ゲレロです。私のクラスに来たのは1999年1月(14歳3カ月)からで、100M平泳ぎ1分20秒を切れない、日本でもどこにでも居る様な中学2年生の女の子でした。平泳ぎタイムは今いちでしたが、持久力が優れ、他の種目も綺麗に泳げましたし、何よりもやる気が凄かったので入れました。そのジェニーが1年後2000年3月、韓国・釜山で開催された第6回アジア選手権に於いて、100M平泳ぎ1分13秒04のフィリピン新記録で4位入賞し、2000年シドニー五輪参加標準記録B(各国1名枠)も突破しました。本人はもちろん私自身も夢を見ている様な五輪切符獲得でした。


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平成21年 9月


     【フィリピン水泳事情C】  県立水泳場所長 石川龍三コラム
比での最初の1年間は実に充実した毎日でした。午前4時に起きて5時〜7時の練習に始まり、午後5時〜8時の1日2回練習という生活パターンでした。各地方を移動するため1年間ホテル暮らしでしたが、どこでも親切にしてもらい、何一つ不自由のない生活でした。特にセブ本島よりフェリーで2時間のドゥマゲェティ市での生活は部屋の目の前に青い海が広がり快適な毎日でした。生活用品も豊富・食事も世界各国の料理を楽しめました。海外の指導で難しいのは成果を出す事ですが、成果が出れば出るほど現地のスタッフの嫉妬・ねたみも生まれ、その辺の摩擦調整が難しいところですが、比では「良いことは良い」とストレートに評価を頂き、大変仕事がやりやすく、やりがいもありました。


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平成21年 8月


     【フィリピン水泳事情B】  県立水泳場所長 石川龍三コラム
比ではコーチ数の少なさ、選手数の少なさと問題もありますが、環境面は室外25m又は50mプールで、水質も日本選手が安心して泳ぐ事ができるレベルです。現地コーチも熱心で勉強もしています。比では英語の国ですから、アメリカからの情報も充分理解していました。しかし難を言えば頭でっかちです。トレーニング法は理解しているのに、それが現場で生かされていません。プールでの指導、コーチの動き、選手を見る目、選手にかける言葉等いまいちでした。しかし子供達は実に純朴です。教えてもらえる事に対しハングリー、うれしくてたまらない。そんな感じなのでハードトレーニングにも必死で頑張ってくれ、びっくりする様な伸びもありました。


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平成21年 7月


    【フィリピン水泳事情A】  県立水泳場所長 石川龍三コラム
私の比での1年目の仕事は、セブ市を基盤に、イリガン市、ドゥマゲェティ市、バコロド市とビサイヤ地方を、2〜3ヶ月周期で指導していきました。地方都市では水泳クラブも1つだけ、コーチも1名だけと、すそのはまだまだです。そんなわけで今までは比代表チームを編成した場合、90%以上マニラの選手が占めていましたが、私が指導した1年後にバコロド市で開催された東南アジア年齢別大会では、比代表チーム44名の内11名(25%)が、私が指導した地方からの選手が代表となり、関係者から高く評価されました。当時のジョセフ・エストラダ大統領からも「子供たちをよろしく頼む」と声をかけてもらい、比での指導が長期化していきました。


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平成21年 6月


     【フィリピン水泳事情@】  県立水泳場所長 石川龍三コラム
比では首都マニラと地方の選手とでは、環境面でかなりの違いがあります。マニラには数多くの水泳クラブがあり、コーチも多数います。25mプール・50mプール・飛込プール(全て室外)と整備されたクラブもあります。コーチもアメリカ人コーチを招聘しているクラブまであります。唯一の問題点は交通渋滞がひどく、選手が家・学校・プールと移動がスムーズに行かず練習時間に支障が出ることです。逆に地方では渋滞はありませんが、水泳クラブは少なく、もちろんコーチも少なく、その為に一人のコーチが同時間帯に初心者から選手レベルまで指導するという事になります。当然選手の指導には集中できず、選手達は真面な指導も受けられず、大きく伸びる芽も詰もれてしまいます。


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平成21年 5月


     【東京育ちのミゲル】  県立水泳場所長 石川龍三コラム
現在のフィリピン水泳界のエースは、マニラ生まれ東京育ちのミゲル・モリナ(24歳)です。両親の仕事の関係で幼い頃より東京で育ちました。水泳は学校(インターナショナル)に25m室内プールがあり、そこで練習を積み重ねてきました。しかし学校の部活動は1日の練習も3000m程度と軽いものでした。そこで学校の長期休暇の時にはフィリピンへ来て私の下で、2ヶ月間集中練習を行うというパターンで高校卒業まで過ごしました。高卒後は、アメリカの大学で勉強と水泳に励み、オリンピックもアテネと北京2回経験しました。現在は大学を卒業し日本へ帰国しましたが、今も水泳への情熱は冷めず、慶応大で泳いでいます。先日東京で行われたジャパンオープンでも、個人メドレー100m・200m・400mの3種目で入賞しました。


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平成21年 4月


       【因縁】   県立水泳場所長 石川龍三コラム
私がフィリピンへ行く様になったきっかけは、ミャンマーで仕事をしていた時に東南アジア大会等で知り合ったフィリピン水泳連盟の方から外務省を通じてオファーを頂いたからです。実は私にはフィリピンのレイテ島で戦死した異母兄弟の兄“龍三”が居ます。父が先妻の死後再婚し、後妻(私の母)との間に生まれた私に若くして戦死した“龍三”の名をそのまま命名した訳です。そんな因縁からか、私にはフリィピンに行く前からこの国で仕事する事になるのではないかと予感がありました。戦死した龍三を知る人は、私と性格が瓜二つ、字形までそっくりだと言います。唯一大酒飲みの父を見て育った兄の“龍三”は、酒を一滴も飲まなかったそうですが、私の方は・・・。ちなみに石川家は酒屋です。


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平成21年 3月

      【日本今昔】  県立水泳場所長 石川龍三コラム

月日の経つのは早いもので、私も当水泳場に勤務し丸3年が過ぎました。長い海外生活から一転、13年ぶりの日本での仕事で当初は戸惑う事も多く、御客様や身内のスタッフにも迷惑をかけました。日本へ帰国し、やはり日本のそして日本人のすばらしさを再確認しました。しかし反面、今の日本(日本人)は少しおかしいんじゃないの?昔の日本はこんなではなかったのにと感じることもあります。私はアジア(特に東南アジア)に関係しましたが、東南アジアのすばらしさは、そこに古い日本があるのです。習慣・そして人々のやさしさには、一昔前の日本を感じます。そんなアジアが私は大好きです。次回からは8年間過ごしたフィリピンでの経験を紹介します。


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平成21年 2月

  【中国スポーツ事情C 練習風景】  県立水泳場所長 石川龍三コラム
中国合宿ですが、我々水泳は月〜金が午前・午後の2回。土が午前のみ1回。日曜は休養という、水泳界では、ごく標準的な週11回練習を行いました。そんな訳で、自分達の練習がない時には他種目の練習を見学しましたが、厳しいの一言です。器械体操、6〜7歳の女子グループ10名の段違い平行棒の練習ですが、10名の練習順番などありません。前の人が終了した瞬間に平行棒を掴まなくてはいけません。周りのライバルを蹴落とし、自分が前に出ます。消極的な子は、いつまで経っても練習ができません。まだ、かわいらしい幼稚園児ですが、コーチの大きな厳しい声が飛び交います。涙を流しながらも必死に頑張る姿に、見ているこちらも泣けてしまいました。


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平成21年 1月

  【中国スポーツ事情B 南寧訓練基地】 県立水泳場所長 石川龍三コラム
日本では一つの体育館・あるいは運動場を、いろいろな種目が使用時間をずらすなり、工夫をしながら使うのが一般的です。しかし、中国ではすべての種目が、それぞれ専用の練習場を所有しています。卓球場には数十台の卓球台がズラリと並んでいます。バトミントン場もテニスコートも皆同じです。水泳場は競泳用50mプール・水球用50mプール・シンクロ用プール・飛込み用プールとすべて室内プールで別々にできています。器械体操場も実に合理的かつ安全性の高い造りになっています。この様に強化システムから練習環境と、すべての面で大きなハンディキャップを背負いながら、日本の代表選手達は中国選手と勝負している訳です。次回は練習風景です。


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平成20年 12月

   【中国スポーツ事情A】  県立水泳場所長 石川龍三コラム
中国南寧市訓練基地内には、体育事務局・練習場・住居・食堂・病院・マーケット等、全てが揃い、基地内での生活に不自由する事はありません。種目によっては(器械体操・飛込み等)6歳位から、超ベテランコーチの70歳位まで、さまざまな人達が1年365日生活しています。朝食7時〜8時・昼食12時〜13時半・夕食18時〜19時半のバイキング形式で、毎週金曜の夕食時にはビールも飲み放題です。それぞれの種目がその生活時間の中で練習計画を立案し実施しています。ちなみに学校は小学生も高校生も皆月曜〜金曜までの週5日、夕食後の19時半〜21時までの1時間半だけ登校します。午前・午後はすべて練習です。次回は練習場の紹介です。


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平成20年 11月

    【中国スポーツ事情@】  県立水泳場所長 石川龍三コラム
北京五輪が中国の圧倒的強さで終りました。そんな中国はどの様なシステムで、どの様な強化をしているのか?皆さん疑問を持ちませんか?私がフィリピンナショナルコーチをしていた時に、3ヶ月間(2005年8月〜11月)強化合宿を中国で行いました。日本人が長期に渡り中国のトレーニング基地に滞在した例はあまりないかと思います。私の見た中国もわずか3ヶ月なので、ほんの一部だと思いますが紹介します。我々の合宿した場所は香港から空路1時間の広西チワン族自治区南寧市です。中国ではこの様にトレーニング基地が各地方にあり、その中から優れた選手が中央(北京)に召集される訳です。次回は、南寧市トレーニング基地を紹介します。


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平成20年 10月

    【北京五輪はハイレベル】  県立水泳場所長 石川龍三コラム
北京五輪も前半の水泳・柔道が終わりました。五輪の日程は前半に水泳・柔道が組まれていますので、出だしの水泳・柔道の出来がその後の日本チーム全体の成績に影響を与えます。その水泳ですが、日本選手の活躍は見事で、日本新も27つ生まれました。しかし、その活躍の上手を行くように世界の水泳は高速化していました。ある種目では前回アテネ大会の優勝タイムで泳いでも決勝に進めないというハイレベルさでした。水着や高速プールが話題になっていますが、水着やプールだけで高速化したとは思えません。そこには当然科学的に裏づけされたトレーニングがあるかと思います。私もその辺の所を人脈をたどり探ってみたいと思います。


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平成20年  9月

    【選手村A】  県立水泳場所長 石川龍三コラム


選手村での生活では楽しみの一つが食事です。食堂はバイキング形式で24時間オープンなので、いつでも自分たちの練習や競技時間に合わせ食事ができます。種類も豊富ですから注意点は食べ過ぎです。選手は試合が近づけば練習量が落ちますが、そこで毎日食べ過ぎていれば、試合当日は体重オーバーということにもなりかねません。自己管理のできない選手では、国際大会へ参加する資格は無いということです。2000年シドニー五輪の時には「鮨の日」があり、市内の日本食レストランで働く日本人の職人さん達が来て美味しい鮨を握ってくれました。ただどのカウンターも世界中の人たちで長蛇の列。間違いなく鮨は国際食、人気ナンバーワン、断一(ダントツ)の金メダルでした。


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平成20年  8月

    【選手村@】  県立水泳場所長 石川龍三コラム

アジア大会・五輪等の国際大会では、選手・コーチは大会期間中は選手村での生活になります。それでは私の今までの体験(五輪・アジア大会等)から一番すばらしかった選手村を紹介します。それは、1999年にブルネイで行われた、東南アジア大会の選手村でした。セリア油田を所有する豊かな国ブルネイは、税金は無し、医療費・教育費も無料です。東京ディズニーランドの様な遊園地も、すべて無料(現在は低料金ですが有料)で利用できました。すでに完売された新築高層分譲マンションを選手村として利用した訳ですが、そのすばらしさ、広さにはびっくりです。部屋も一人で一部屋(普通は一部屋を2〜3名で利用)で大変贅沢な選手村でした。


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平成20年  7月

     【五輪との縁】  県立水泳場所長 石川龍三コラム

北京五輪選考会も終り、水泳の日本代表も決定しました。ある選手は優勝はしたものの標準記録に今一歩で落選。あるいは標準記録は突破したものの、第三位で落選と大変厳しい戦いでした。五輪は四年に一回です。毎年行われるのであれば、今年ダメでも又来年という事になるのですが、水泳では今回ダメだったので又四年後と、そんなに簡単ではありません。選手にとっては四年に一度のチャンスではなく一生に一度のチャンスなのです。日本一に何度もなっているのに五輪には行けなかった選手。五輪の年になると強く、二回も三回も出場した選手。五輪との縁を感じます。五名の五輪選手を育成し、自身も二回コーチとして参加できた私は幸せ者です。


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平成20年  6月

 【エンジョイ シドニー五輪】  県立水泳場所長 石川龍三コラム

2000年シドニー五輪はフィリピンチームのコーチとして参加しました。フィリピン選手のレベルは世界とは大きな差があり、五輪へは国際水連の設定した参加標準記録を突破し、出場する事だけが大きな目標でした。五輪本番の2〜3ヶ月前に、国際水連の指定した公認大会を選択し、マレーシアへあるいは香港へと遠征し、標準記録突破(五輪出場)を狙います。そんな訳で五輪本番は出場できた“ご褒美”のような感じで、緊張感は今一でした。その代わり陽気で明るいフィリピン人なので、祭典を楽しむことはピカイチです。私自身も開会式から閉会式まで、選手村での生活・五輪(他の競技観戦)をしっかりエンジョイする事ができました。


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平成20年  5月

 【緊張のバルセロナ】 県立水泳場所長 石川龍三コラム

1992年バルセロナオリンピック。4月の選考会後召集された日本チームは、開会式までの約3ヶ月間ヨーロッパ各地での合宿を経て本大会へ望みました。当時のメンバーはレベルの高い選手達で、【世界と戦う集団】でした。参加だけで満足している選手はおらず、われわれ8名のコーチングスタッフもぴりぴりしていました。大会期間中はそれぞれが持ち場(例サブプールでアップ担当)を任され、スペイン語を話す私は招集室(レース前に選手が最終チェックを受ける場所)で、選手をレースへ送り出す役目でした。選手は当然緊張しますが、コーチだって同じです。現地役員の人達とおしゃべりし、いかにも平静ぶっていましたが、内心は緊張の連続でした。


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平成20年  4月

【オリンピックB】  県立水泳場所長 石川龍三コラム


漢人はその後も順調に成長し、高校2年生の時には当時10年間も破られていなかった100mバタフライで日本新を樹立・ワールドカップでは、100mと200mバタフライで3連勝し、その年の総合チャンピオンと獲得賞金第1位にもなりました。そして、高校3年でバルセロナオリンピック出場です。バルセロナでは400mメドレーリレーで7位入賞はしたものの、個人種目のバタフライでは期待されたメダル獲得はならず、陽子には今でも私の力量不足申し訳ないことをしたと思っています。そんな漢人陽子さんも、現在は藤本陽子さん・1児のママです。長男亮君がいつ水泳デビューしてくれるのか?陽子との思い出はすばらしい思い出。私の誇りです。


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平成20年   3月

【オリンピックA】  県立水泳場所長 石川龍三コラム

指導者となってオリンピックへ行こう。幸いすばらしい選手達と巡り合う事ができ、1992年バルセロナ・2000年シドニー・2004年アテネと計5名のオリンピック選手を育成することができました。その第1号が漢人です。彼女を小学1年生から浜松商業を卒業し早稲田大に送り出すまでの12年間、ずっと見続けました。彼女は小学生の頃から全国ジュニア大会でもまったく物怖じせず、大物ぶりを見せていました。中学では日本中学新を樹立し順調に成長。高校1年で初めての全日本入り、アジア大会では2個のメダルも取りました。世界選手権でも3種目(50m・100m・200mバタフライ)すべて入賞を果たし日本を代表するスイマーへと成長しました。…つづく


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平成20年   2月


【オリンピック@】  県立水泳場所長 石川龍三コラム

2008年おめでとうございます。今年は4年に1度の閏年(うるうどし)・アメリカ大統領選挙・そして北京オリンピックです。1964年の東京オリンピック、当時小学5年生だった私は陸上100mのヘイズ・水泳のショランダー、すべてに強烈な印象を受け、大きくなったら自分もオリンピックに出てみたいと思う様になりました。子どもの時の夢です。その後、水泳と巡り合い大学卒業まで頑張ってきましたが、選手としては全国大会入賞程度で、とてもオリンピックなどという器ではありませんでした。それでもオリンピックへの夢は捨てきれず、それなら指導者になってオリンピックへ行こうと思う様になりました。そしてその第1号が漢人陽子選手です。 


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平成20年   1月


【軍事政権】  県立水泳場所長 石川龍三コラム

この一年間ミャンマーでのことを書き続けてきましたが、大変残念な悲しい出来事で、この国がクローズアップされてしまいました。熱心な仏教徒であるミャンマー人の対日感情は決して悪くありません。ただ軍事政権であり組織の中では自由に物を言う事もできず、生きていく為に必要な知恵なのか、一部のポストにいる者だけがおいしい思いをしている。日本政府からの援助物資(水着・ゴーグル等)も一部力のある水泳関係者が売りさばき私腹を肥やしていました。日本政府は一歩間違えば「内政干渉」と言われ弱腰です。アメリカは決してミャンマーとは呼びません。今でも昔の国名「Burma」バーマと呼びます。現在の軍事政権を認めていない証拠です。


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平成19年  12月


【広島アジア大会・後半】  県立水泳場所長 石川龍三コラム

大会初日が勝負です。若い選手達ですので、ビック大会に興奮し大ベストを出す可能性もあれば、反対に緊張から何も分からず終わってしまう場合も考えられます。そしてもし悪かった場合は「やはりアジア大会なんて場違いなんだ」と思ってしまう。とにかく初日に良い結果を出さなくてはいけない。そんな中男子100m平泳ぎでベストタイムを3秒短縮し決勝進出。この決勝進出でその後のレースも萎縮せず、結果4種目も決勝進出できました。特に女子100mバタフライ決勝では、愛弟子だった漢人陽子とモートゥアウンが一緒に泳ぎ、何とも不思議な気持ちと、私だけにしか分からない、私だけが味わうことができる感動、感無量、胸にぐっと来るものがありました。


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平成19年  11月


【広島アジア大会・前半】  県立水泳場所長 石川龍三コラム

1994年10月広島で第12回アジア大会が開催されました。1年前ミャンマーに派遣されてから、正確には派遣される前の、まだミャンマーの選手を見ないうちから「1年目の目標はアジア大会」と決めていました。ミャンマーでの練習環境や選手のレベルを見ないうちですので、今思えば尋常ではありませんでした。しかし自分自身へのプレッシャーの意味も含め、とにかくアジア大会へ参加、できれば1種目でも決勝進出というのが目標でした。大会初日が勝負と考え、若い4名の選手(女性14歳と15歳・男性15歳と16歳)で大会に臨みました。私自身も1年間の成果を日本の皆様に披露できる絶好の場であり、意気込んでの参加でした。。。。つづく


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平成19年  10月


【年齢別大会・地方開催(後半)】 県立水泳場所長 石川龍三コラム
ミャンマーでは競技人口も少なく競技レベルも低いですから、日本のように標準記録などはありません。日本ではよくベストタイムで泳いでも標準記録にいま一歩届かず悔し涙を流していたり、コーチに怒られたりしている姿を目にしますが、どちらがいいのか少し考えさせられました。ヤンゴン夕方6時出発から翌朝9時マンダレー到着。まずはホテルで休憩と食事を取り、午後からのレースに備えます。15時間の夜行列車の後のレースです。それも寝台ではなく座席シートです。恵まれた日本の選手だったらさぞ文句を言うだろうなと思いつつ、そんなことは一言も口にしないミャンマーの選手を頼もしく感じました。


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平成19年  9月


【年齢別大会・地方開催(前半)】  県立水泳場所長 石川龍三コラム
1994年5月、いつもミャンマー国立水泳場で練習しているヤンゴンの選手たちは、全国大会初の地方開催のため、ヤンゴンから北へ720qのミャンマー第二の都市マンダレーへ向かいました。夜行列車の発車から車内ではビールを飲んでお祭り騒ぎです。選手(ジュース)も父母もコーチも、大会は一種のお祭りです。今から勝負に行くんだとかいう気負いは全くありません。レベルが低いからこうなのか?いやレベルに関係なくスポーツ本来の姿をここミャンマーで見ているのか?私の選手たちにしても、何にでもエントリーしてしまう。まさにレースを楽しんでいるといった感じでした。…つづく


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平成19年  8月


【理想的体型のモー選手・後半】  県立水泳場所長 石川龍三コラム
私がミャンマーで一番期待したモー選手。彼女は面構えもいいし、性格も大変負けず嫌いで競技者向きでした。泳ぎは、漢人選手が腕でグイグイ引っ張る力強い「剛」の泳ぎだったのに対し、モー選手は強いキック力を生かした、しなやかな「柔」の泳ぎでした。私はミャンマーでも世界に通じる選手を必ず育ててみたいと思っていました。しかし、実際世界を目指すレベルとなると選手自身の持つ素材・素質という部分も大きなウエイトを占めます。その意味ではわずか30数名しかいないミャンマー水泳選手の中に、私をワクワクさせる選手がいたことは大変ラッキーでした。・・・つづく


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平成19年  7月

【理想的体型のモー選手・前半】  県立水泳場所長 石川龍三コラム
モートゥアウン。身長165p・体重47kg、手足の長いスラリとした体型、そして柔らかな身体。水泳選手として理想的なものを持っていました。初めて彼女を見た時から「よしこの娘だ。」と感じました。時々、「石川さんはバタフライの指導が得意ですか」と聞かれます。私自身バタフライの選手でしたが、特にバタフライの指導に自信があるわけではありません。しかし、あくまで偶然だと思いますが、私がコーチした南米コロンビアではバタフライの選手が南米選手権で優勝し、日本では漢人陽子を指導し、日本新記録・オリンピック等活躍してくれました。そして、ミャンマーで一番期待したのが、バタフライのモー選手です。(後半へ続く)


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平成19年  6月

【ミャンマー国体】    県立水泳場所長 石川龍三コラム
1994年2月ミャンマー国体が開催。開会式は軍事政権キン第一書記長を迎え、軍落下傘部隊まで登場し、派手に行われました。水泳競技は4日間。競技人口が少ないため予選は無く、毎日午後4時からの決勝のみ。日本での忙しかった国体を思い出すと嘘の様にのんびりした大会でした。大会は、各省庁の得点争いです。選手は各省庁に所属し、学生ですが各省から毎月給料を支給されています。額は能力によって異なり、800〜1500チャット(1チャット=1円)。公務員給与は約2000チャットです。また大会には賞金もあり、私の選手モートゥーアウン(中1女子)は、4個の金メダルと4つのミャンマー新記録で計80,000チャットも獲得しました。



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平成19年  5月

【 違 い 】     県立水泳場所長 石川龍三コラム
ミャンマーと日本の水泳、一番大きな違いは水泳人口です。日本では、一スイミングクラブで何千人の子どもが泳ぎ、それが全国中ですから、水泳人口はかなりの数になります。しかしミャンマーの水泳人口は、ヤンゴンの国立水泳場に泳ぎに来る百名程だけです。そしてその内の7名が私の選手という事です。練習一番の重点は、長期視野で指導する事です。無理せず、焦らず、少しずつ練習法を理解させていく。練習を丁寧に説明しながら進める為、時間はかなりかかります。しかしミャンマーの子供達は今まで指導らしい事を受けた経験が無く、大変純朴についてきてくれました。この7名で1年後の「広島アジア大会出場」目標に向かってスタートしました。


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平成19年  4月

【初めが肝心】ミャンマーでの仕事開始。何事も初めが肝心です。まずは全体会議を開く事。出席者はすべて私が指名。スポーツ省の大臣からミャンマー水泳連盟関係者。そして日本側からは大使館の文化担当官と私です。海外での仕事では、前回の経験からも遠慮せずハッキリ物申す事が大事です。@給料・住宅は日本側負担。ミャンマー側負担は自動車・運転手をお願いします。Aプールの水ですが、今のままではプールとは言えません。用意した水中カメラも役に立ちません。Bプールはコースロープを常時張って下さい。C私のクラスは3名です。しかし最後のクラスについてはミャンマーからの要請もあり、3名+4名=7名でのスタートとなりました。(記:所長石川)


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平成19年  3月

〈マイナスからのスタート〉ミャンマー国立水泳場は「聖なる黄金の塔」シュエダゴォンパゴダが、まぶしいほど金色に輝くヤンゴンの中心部に位置し、50m×25m・9コースの古いコンクリート製のプールでした。選手達はコースロープも張らず、まったく透明度のない溜池の様な状態の中を、横25mをいっぱいに使い、全員一斉に泳いでいきます。年齢的にも小学校低学年もいれば、大人(マスターズスイマー)そして選手らしい中学生と様々です。ミャンマーでの指導は、まずはプール管理、年齢・水泳能力別クラス分け、それからコースロープを張り、右回りに泳ぐ事と、ゼロからいやマイナスからのスタートでした。(記:所長石川)

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平成19年  2月

〈仏教国ミャンマーへ〉私がミャンマーでの指導を決心したのは1993年です。タイのバンコク経由でミャンマーの首都ヤンゴンへ。日本人には旧ビルマ・首都はラングーンといった昔の地名の方が親しみ深いかもしれません。日本映画の名作「ビルマの竪琴」はあまりにも有名です。「聖なる黄金の塔」シュエダゴオンパゴダが金色に輝くヤンゴンの街。熱心な仏教徒であるミャンマーの人々。僧を心から崇敬し、親や先生を敬う習慣があり、家庭内において親の子供に対するしつけは厳しいです。そんなミャンマーの子供達は純粋な瞳をしています。必ずシュエダゴオンパゴダのような金色に輝くスイマーを育てると自分自身に誓いました。(記:石川所長)


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平成19年  1月

〈クリスマスとお正月〉メリークリスマス・そしてハッピーニューイヤー。クリスマスとお正月、日本ではお正月重視の傾向ですが、海外(特にキリストの国)ではやはりクリスマスです。水泳もクリスマス前までに大きな大会を終了し、クリスマス時は皆がゆっくりとクリスマスを楽しめる様に日程が組まれています。アメリカ人コーチの離婚率は高く、その原因にクリスマス時に練習を行い、家庭を軽視する事も理由になっていると聞きます。私も当初は日本流にクリスマスを無視の練習を行いました。しかしこれはナンセンス、「郷に入っては郷に従え」クリスマス時は連日連夜パーティーで2日酔いの毎日です。(記:石川所長)


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平成18年 12月

〈別れ〉クラウデア・パトリシア・フイリアン名前をあげればきりがない。私の最初の教え子達です。最初の教え子が外国人だった事もあり強い印象があります。今までに海外では計4カ国、10の地域で指導をしてきました。まだ見ぬ地、初めて出会う子供達にワクワクし、毎日が遠足前日の晩の小学生の様な気持ちで生活をしていました。午前3時半に起床し4時半にはプール到着。5時からの早朝練習に備えます。このワクワク感・充実感がたまらずついつい長い海外生活になってしまいました。しかし出会いがあれば当然別れもあります。頭では理解できてもつらく哀しい別れです。今では便利な携帯電話が有り、教え子達とのメール交換が毎日の楽しみです。(記:所長石川)


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平成18年 11月

〈南米美人〉今月は水泳を離れペンを執ります。南米コロンビアといえば、コーヒー・エメラルド(世界一)そして南米美人。悪い方では麻薬生成工場です。南米美人について、毎年開かれるミスワールドでは、必ず中南米代表はベストテンに数名入っています。長い歴史上いろいろな血が混ざり美人が生まれるのでしょう。そしてラテン系の明るさ・笑顔・愛想の良さがよりステキな南米美人を作るのでしょう。当時私もスペイン語の勉強を理由に、用はなくても体協事務局へ入り浸り、美人秘書達とおしゃべりです。最初の頃は笑顔・愛想の良さに皆が私に気がある様錯覚し己惚れたものです。あれから30年南米美人が懐かしいです。(記:所長石川)


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平成18年 10月

〈マイアミ年齢別大会〉1978年夏(6月〜8月学校夏休み)水泳協会より、8月にコロンビア・
バジェ県代表チームをマイアミ年齢別大会へ派遣と発表され、プールは気合いの入った
選手達で熱気ムンムンでした。7月の選考会後代表合宿を経て、8月マイアミ年齢別大会
へ参加。北はカナダから南はブラジルまで、各国それぞれクラブチームであったり、代表
チーム(市代表・県代表)だったり盛大な大会でした。大会初日から金メダルは取れないも
のの2位・3位は数多く、3日目には待望の金メダルも獲得。そして最終日思いもかけない
男女総合優勝。翌日はご褒美全員でディズニーワールドへすばらしく楽しい最高の1日で
した。(記:所長石川)


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平成18年 9月

〈強い南米水泳〉南米=サッカー。では、水泳は強いの?ズバリ高いレベルです。
理由@アメリカとの交流が盛んである。A南米の選手は高卒後アメリカの大学へ進学、
水泳はアメリカの大学チームで行うケースが多い。当時マイアミ大との交流が盛んで
冬12月〜1月にかけてマイアミ大チームが気候の良いコロンビア・カリ市に合宿にやっ
てきます。そして夏8月には我々がマイアミの大会に参加します。当時マイアミ大には
イギリスからの留学生平泳ぎの世界記録保持者、オリンピック金メダルのデビット・
ウイルスキーが泳いでいました。デビットのすばらしい泳ぎ、すごさは私にとって大変
よい勉強になりました。(記:所長 石川)


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平成18年 8月

今月は海外でのお話は休ませて頂き、皆様にお願いしたい事がございます。それは専用
コースの使用についてです。皆様からの提案箱の中に専用使用に批判的、ズバリ「邪魔だ!」
という意見がございます。大変残念に感じます。当水泳場は県立の施設であり、県民の皆様
に気持ちよくご利用して頂く事が第一ですが、同時に県内水泳界の競技力向上という大き
な柱もございます。若い中・高生がそれぞれの目標に向かい頑張っています。この中から
将来、オリンピック選手が育つかもしれません。どうか温かい目で若い選手達を見守って
あげてほしいと思います。無理なお願いでしょうか?ご理解、ご協力をお願いします。
(記:所長 石川)


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平成18年 7月

〈新米コーチと天才児〉新米コーチだから焦らずのんびりやればいいさ。こんな声もあり
ます。しかし、コーチは新米でも選手がすばらしい素質だったらのんびりなんてできませ
ん。私とファンカルロスは、まさにそんな巡り合いでした。彼は天才肌。しかし、さぼり
の方も一流。当時13歳、プールに来ても隣のグランドでサッカー(南米少年はサッカー好
き)。まずはプールへ連れ戻す。バタフライ専門なのにバタフライを泳ぐのは嫌い。当時
は私も若く手を焼きました。そんな彼が3年後16歳で南米選手権100mバタフライで優勝。
私にとって最初の大きな感動。今も忘れられない勝利です。(記:所長 石川)


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平成18年 6月

〈褒め方下手な日本人〉南米コロンビアでの指導も約半年過ぎ、大分慣れてきた頃、水泳
連盟に呼ばれ注意を受けました。「龍三、試合でよい結果の時はもっと褒めてください。」
え〜っ、ショック!私だってベストタイムで泳げば「ムイビエン(大変よかったよ)」と声をか
けていました。しかしここは南米。陽気で明るいラテンの国。口だけでムイビエンでは気持ち
は通じません。男の選手なら握手して肩を抱きかかえる。女の選手なら両手を広げ笑顔で
迎え、抱きかかえほっぺにキス。それで初めて良かったよ、コーチは喜んでいるよと気持ちが
伝わります。この経験が私のコーチ人生に於いて大きな幹となりました。(記:所長 石川)


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平成18年 5月

〈スペイン語〉私の指導者のスタートは南米コロンビア・カリ市です。1年中温暖できれい
な街でした。大学を出たばかりで指導経験はゼロ。スペイン語(中南米ではブラジルだけ
ポルトガル語で他の国はスペイン語)のスの字も解らない若造が教えに行くなんて今思え
ば無茶な話です。まずは時計のタイムが読めなくては仕事になりません。数字の1(ウノ)、
2(ドス)、3(トレイス)と声に出して練習です。人間切羽詰ると頑張れるものです。昼間は解っ
ても解らなくても現地の人と会話。夜は辞書を片手に勉強です。ブエノスデアス(おはよう)
コモエスタ(ごきげんいかが)。皆さんもスペイン語会話はじめませんか?(記:所長 石川)


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平成18年 4月

〈自己紹介〉平成18年4月より所長の石川龍三と申します。宜しくお願いします。
私は、競泳コーチ一筋でやってきました。その内訳は、16年間は日本での指導、14年間は海外
での指導です。この1月に帰国し県立水泳場で勤務することになりました。日本での仕事は
13年ぶりになります。このコラム覧は、前所長の長い教員生活やラグビーの名監督としての
経験を生かしたすばらしいコラムを掲載し、ファンも多かったと聞いています。多少日本
語もつたない私ですが、コーチとして国際大会(オリンピック・ワールドカップ・アジア大会
等)への参加や長い海外生活での経験を生かし今回よりペンを執らせていただきます。


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平成18年 3月

- 試験のシーズン- 試験の思い出はどんなものをお持ちですか。入学試験、入社試験等
その後の生き方に作用するものばかりで無く、スポーツの試合も自分の力が試されると捉
えれば試験に相当。持てる力を総てとまで行かなくても、大きな失敗が無く力の大半を出
せれば、結果の良悪を別にして結果を素直に受入れざるを得ない。ところが現実は力を十
分に発揮出来ず悔いを残すことが多い。緊張し過ぎや頑張り過ぎで意識だけが先行し、誰
もが持っている自分をよく見せたい、勝ちたいという潜在的な意識が作用するのか。結果
として無いものまで出そうとしているのではないか。無いものは出そうとしない、その代
わり有るものは総て出す。この意識が徹底すれば余分な緊張は無く、あがらず構えず、結
果を素直に受入れられる試験や試合を行えるのではないか。最大・最強の敵は自分自身。


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平成18年 2月

片道1車線同士の交差点、多数の車が赤信号で停まっている。信号が青に、流れるはずの
車列が動かない。先頭車両が左折出来ず停まったまま。横断歩道に人が居れば動けない。
それにしても時間が長すぎる。大勢かと見ると一人だけ。動けない車列を楽しむかの様に
ゆっくり渡っている。先頭の左折車と二台が直進し信号は赤に、他の車は数をより多くし
残された。高校生や中学生が悪戯で、敢えてゆっくり渡るなら、幼いなぁ、と笑えても、
子どもではなく、こんな大人が増えている様な気がしてならない。意識的に意地悪をして
いるならばまだ救われる。しかし状況から何も感じないとしたら、感じないその心が哀し
い。大人であるがゆえにお互いに軽く会釈し合ったり、小走りで通り抜けたり、譲り合
って通過する姿もたくさんある。こんな事に喜んだり期待するのがおかしいのでしょうか。


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平成18年 1月

-凧の糸- 凧揚げが冬の風物詩だった時がある。今では凧揚げをしている姿を殆ど見掛
けない。遊びの好みが全く異なり、身近に適当な場所も無い。風が無い時、力任せに糸を
引きいくら走っても揚がらず、電線や木に絡んで苦労したり、糸が切れ凧を追いかけたり、
全て遠い昔の事。急に強い風が吹いたり、強く引っ張った時、糸が張り切れていれば糸は
切れるしか無く、凧は何処かへ飛んでいってしまう。適当なたるみが有って初めて揚げ手
の意思が伝わり旨く揚がる。凧の糸を人の心に例え、親と子とか人と人の結び付きと考え
た時、いつも糸が強く張れた状態が良いと考える人が多い。強く張れて居れば良い様でも
急な変化に対応出来ず切れるしか無い。逆に何も繋がって居ない人も多い。余裕を持ち、
急な変化で切れて飛んで行きそうな時だけ刺激を与えられる、そんな繋がりでいたい。


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平成17年 12月

心温まる親子の姿を見せて貰った。幼稚園児らしき女の子、元気な声で「今日は」そして、
品物名を伝え「忘れ物をしました、ありませんでしたか」所員から忘れ物を受け取り「ああー
よかった」「ありがとうございました」やり取りはこれだけの事。母親は後方で笑みをたた
えて見ていた。『大きな声で言えて偉かったね、凄いぞ』母親には『見事に育てていま
すね、明るさと元気は宝です』『お子さんに言わせて黙って見ていたお母さんが何より
偉いですね』と事務所から出て言わずにはいられなかった。嬉しそうな女の子と照れ臭そ
うな母親の表情が印象的だった。小学生どころか、時には高校生にまでも親が用件を代弁
しているのが現状。代弁された子供が可哀相。潜在能力を生かす学習の機会を親にむし
り取れれてしまい、後々その大きなしっぺ返しが親や世の中に返されているのが今の世。


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平成17年 11月

「花は色、人は心」と言う歌をなるほど、と聞き入った時がある。花の色も人の心も
千差万別。驚く程の差異がある。子どもの頃母親から“客面をするな”と教えられた。
『ありがとうございます。』『お世話になります』と言うんだよと、その通りだと思い
教員時代自分が関わった生徒達に客面をするなと話してきた。もちろんその意味を説明
しながら・・・。買う側と売る側、金銭を払う側と貰う側、サービスをする側と受ける側
など立場が全く別の場合であっても、要は“人と人”だと言うことを・・・。一方、客と
して金を払っている、したがってどんな要求をしても当然、又その要求に答えるのも当
然と言う人もいる。この人からすれば客がお金を払って『ありがとう』はおかしいじゃ
ないかと言う事になる。これも然り。どちらの生き方をするかは人それぞれ・・・。立場
がどの様に変わっても“人と人”で生き続けたい。



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平成17年 10月

《ハードルを越える》陸上競技のハードル競技では、当然の事ながら、総てのハードル
 を超えてゴールする事が記録を成立させる最低限の条件となる。私たちが送っている
 日常生活にも大小の超えざるを得ないハードルが次々と現れる。難なく超えて行く人、
 苦しみながらも超えていく人、時には超えられない人、超えられなく悩んでしまう人、
 総て逃げ道を見つけ超えない人、各人各様で人それぞれ・・・。この現れ方違いは幼児期
 からの育てられ方に大きく作用される。幼い時から小さな事でも越え方を教えられ、
 たとえ失敗しながらでも、超える事を繰り返し学習して育った人。一方、子どもに失敗
 させたくない、苦しませたくないとの思いから、親切のつもりで子どもの世界に手や口
 を出し過ぎ、いつも親が代行ばかりしてしまい、学習出来ず育った人。親や大人の都合
 での勘違いの親切、お節介は罪深い。

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平成17年 9月

−声と動作− 声と動作の切れには密接な関係がある。今までにこの密接な関係にお気付
きですか。気付いて意識しながらの生活と、気付いていない生活とでは大きな違いが出て
きそう。「ハイ!」と「ハアーイ」「オイ!」「オーイ」「こんにちわ!」「こんにちわあー」等、例を
あげればきりがない。それぞれの声に動作を付けてみてください。何で、どうして、とび
っくりする程動作に違いが出る筈。元気な切れのある声を出しながら、のんびりゆっくり
した動作を行なう事は不自然で凄く苦労する。切れがある声は切れがある動作を引き出
してくれる。かっては甘えた子どもの世界のものだった筈の、語尾上げ、語尾伸ばしが
大人にまで、今全盛期とも言える。多くの人が慣らされている、切れのある声とは程遠
いこの言葉から切れのある動作は望めない。挨拶も含め切れがある声と共に生きたい。



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平成17年 8月

《どうせ・だって・でも》如何ですか?この言葉をよく使いますか、それともめったに使い
ませんか、もし使うとしたらどんな時ですか?三つとも使用した時の共通点がありますが
お気づきですか。「どうせ言っても無駄だから」「どうせ許してくれないから」「どうせ
行ってもできないから」「どうせ気付いてくれないから」「どうせみてくれないから」
総てに共通する事は、行動したり考えたりする以前に、自分で勝手に答えを出しているこ
とです。しかも否定的な答えを・・・。この答え、この言葉が出てくるのには、人それぞれの
それまでの経験がその様にさせているに違いない。《どうせ》で行動や発言をやめてしま
うより、まず行ってみる、言ってみる、すると意外に前向きに道が開けていく現実も多い。
自分が《どうせ》と言われる対象にならぬ様、話を聞き状況を知る生き方をしたい。

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平成17年 7月

−褒める− 何歳になっても褒められると嬉しいもの。褒めることが大切だと常々言われる。
ある教員が出会う生徒すべてに声を掛け褒めた。生徒の反応は。 喜ぶ生徒はいなかった。
そればかりか、なんだあいつは、おかしいんじゃないのとか、歩く人生相談と言われ相手に
されなくなり逆効果のみが強調された。多くの生徒に声を掛け、褒めたのに。何も褒めなか
った以前の方が良かった。“褒める
とは認めること。認められると嬉しい。認める為には
見ていないとできない。何を行っているのか、何に苦しんでいるのか、何に悩んでいるのを
知っていないとできない。褒めるとは、関心を持ちしっかり見ている人にだけできるもの。
小さな事でも人知れず陰で行っている事でも、知っていてくれ、見ていてくれ、それを褒め
られると凄く嬉しいもの。嬉しくなり心の底から意欲や勇気が湧いてくる。

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平成17年 6月

貴方の大切なものは何ですか?家族、親友、命、仕事、お金、趣味等々。家族といっても、
それが子供であったり、奥さんや、父母であったりと立場の違いで変わる。大切なものの為
なら我慢ができる。頑張れる。耐えることが出来る。無理も出来、苦にならない。家族や恋
人であればその人を守る為、喜んでもらう為、悲しませない為、見ていてほしくて褒められ
たくて・・。又、大切なものを手に入れたくて頑張れる。大切なものを持っていると勝手な
こと、投げやりな行動を取りにくくなる。大切なものに迷惑をかけたくないから。
大切なものを持っている人と持たない人では、生き方に違いが現れ、長い人生となれば大き
な差異が生じる。子供の時から、その子にとっての、家族にとっての大切なものを一つでも
多く育ませたい。なぜ大切なのかも知れば益々豊かな心になれる。こんな世の中だから。

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平成17年 5月

−喜怒哀楽 喜と楽が善で、怒と哀が悪の様なとらえ方をされる。現実の生活は、4要素が
入り乱れ繰り返されている。
最近は人間の行動とは思えない、怒と哀のニュースが次から次
に伝えられる。こんな時、親・大人が子どもを護るのは当然。しかし、怒や哀を子供に味合
わせないよう護り過ぎると、弱く、甘く、自己中心的な勝手な奴に育つ。

護りきるではなく、怒や哀を共に味わい考え、生きてゆく上で避けて通れないことを知る。
そこで怒や哀を静め解消する術を知り、内容によっては耐えざるを得ないことも知る。また、
なぜ耐えなければならないかも知れば申し分なし。護りきることで、その場は良くても後に
何も生かされない。後の長い人生に役立つ通過法を取らせたい。大人がこの様な生き方が出
来れば世の中は間違いなしに良化する。人が強く、しかも優しくなれる。弱く、甘く、自己
中心的でなく。


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平成17年 4月

絡んだ糸 糸が絡んだ時どうしますか。時間に余裕がある時無い時、その時々の状況に
より対応が異なり、各人の性格によっても違いが現れる。根気よくほぐす人、途中で投げ出
す人、ほぐそうとせず切って捨てる人。糸であれば切って捨てても後に大きな変化や影響は
ない。しかし、絡んだものがただの糸でなく心の糸だとしたらどうか?

根は誰も素直な心なのに複雑に絡み合わされたり、絡んだ状態が長く続いたりすると大切な
素直さが見えなくなる。そんな時、絡んでいることに気づかず素直になれない原因にも気が
つかずルールや立場で力づくで解決させようとしても絡み方を強く複雑にしどうにも動けな
くなる。お互いにとりこんなに不幸なことはない。
時間がかかりどんなに遠回りでも、絡ん
だ糸を根気よくほぐすことが何よりも大切。それは、じっくり耳を傾け腰をすえて話を聞く
ことから始まる。


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平成17年 3月

“目の上のたんこぶ”と言うと邪魔で不要なものとされ勝ちだが本当に不要で邪魔なのか?
筋を通し正しい行動を続け、周囲を客観的に見ておりあの人には逆らえない、と言った気に
なる存在の人が居る。
もし、あの人が居なければもっと楽が出来るのに、少しくらい遅れ
て行っても大丈夫なのに、などと考える。人間誰しも弱い面を持ち楽な方に流され易く完璧
な人などまずいない。弱い面が出て甘えが出るからといって必ずしも悪いのでなく、それが
普通ではないか。そんな時良い意味での緊張感を無言で与えてくれる“こぶ”の存在がすご
く重要。家庭、職場、学校、部活動等あらゆる集団に1人でも“こぶ”が居てくれるときっ
と良い回転が続けられる。あの人が居なければ楽なのに、と思っていても
現実にその人が居
なくなるとぽっかり大きな穴が開いてしまうような人。
そんな“こぶ”が居なくなった。
威張りたい人は相変わらず多いが。


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平成17年 2月

明・優・強 と並んでいる文字を見てどんなことを想像しますか?同じ文字を見て、人
それぞれ想像することが異なっても当然です。明・優・強は明るく・優しく・強く生きたい
生きさせたい、生きるべきとの願いを込めてのもの。真の明るさ・優しさ・強さが有れば自
分だけでなく、他者も豊かな気持ちで生きることが出来る。凄く大切な明・優・強なのに、
軽さ薄さを明るさと、甘さ弱さを優しさと、その上独善的な自分勝手さまでも強さと考え違
いしている傾向がある。タレント二人組み等の軽薄さ、根っこにある品のなさが常にテレビ
等で提供され、それが喜んで受け入れられている現実.需要が有るから溢れる程供給される。
残念ながらこんな流れはまだまだ続きそう。この現状で明・優・強を保つには努力が必要。
それでも、暗・甘・弱・軽・薄でなく、真の明・優・強を大切にして生きたい。


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平成17年 1月

年を重ねる理屈の上では、年々年を重ね、子どもから大人になって行き、誰でも子ども
の時が在ることは十分に解っている。なのに、父母は最初から父親と母親であり、祖父母は、
生まれながらにおじいちゃんとおばあちゃんであるような・・・。しかも自分の年齢に関しては、
せいぜい20歳くらいの都合の良い時までしか想像できない。どんなにいやで望まなくても、
誰もが確実に年を取る。
物理的に経過する時間は総ての人間が同じはず。ところが、通るべき時に通るべき道を通らないと、大切な時が生かされず、その後の進み方が何も解らないまま、
いくら年を重ねても成長しない。日々のニュースでも、変な大人が多すぎると思いませんか?
残念ながら大人になると誰も教えてはくれない。大人のツケを回される子ども達が可哀相。
意味のある年を重ねたいし、重ねさせられる大人でありたい。


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平成16年12月

お節介 子と親、子どもと大人、生徒と教員の間柄で、子どもが悩んだり苦しんでいる時、
様子を見守りながら待つことが出来ず、直ぐに手や口を出してしまう。手や口を出す大人の
側は子どものため、と考えていてもそれは子どものためと勝手に錯覚し、思い込んでいるこ
とが多く、本当は悩み苦しんでいる子どもを見守っている苦しさに耐えられずに行動してい
ることに気がついていない。子どものためではなく、自分の為に・・・。苦しみながら自ら通過
し乗り越えれば一気に成長することが出来るのに。大人のおせっかいと勝手のために、困難
に立ち向かって自ら解決できるチャンスを逸してしまう。どんなに努力しても通過できず、
どうにもなりそうも無い時、いざ、という時に通過するためのヒントを与えたり、応援して
やることが可能な態勢を整えた上で見守りたい。大きく成長させるために・・・。


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平成16年11月

病院の待合室での光景。診察の順番待ちの患者で一杯の部屋。看護師に名前を呼ばれ次々と
診察室に入って行く。名前を二度三度呼ばれても反応が無い。徐々に大きくなる声で呼ばれ
てもまだ返事が無い。順番待ちの患者達も、誰だろう居ないのかな、とそれとなく周囲を見
渡している。「お見えになりませんか、では次の方…」とその時、『何度も何度もうるせえ
なあ、一度言えば解ってるよ』と何やらブツブツ言いながら動きだした男性。高校生らしき
男が見てはならないものを見るような目で、チラッとその男性を見ていた目が印象的だった。
『何度も何度も…』の代りに『ハイ』と凄く簡単で便利な短い一言が何故言えないのかな、
はしたないと思いながら改めて顔を見てしまった。見掛けはいかにもしっかりとした、ビシ
ッとスーツで決めた紳士風の、どう見ても大人の年齢だった。

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平成16年10月

「静かにしろ、話をやめろ、聞こえないのか」「何度言ったら分かるんだ。いい加減にし
ろ」徐々に声は大きく、口調は益々強く、そして顔つきは怒りの顔に変化して行く。
学校でよく見かける光景。何回も繰り返し怒鳴り声で言われ、やっとで少し静かに
なる。「静かにしろ」と言っている本人はこの状況を、自分一人だけがすごく頑張っ
ていると考えて疑わない。この光景は機会あるごとに繰り返される。そして子供達も
飽きることなく同じ事を繰り返している。
たとえ同じ事を繰り返すにしても、“今何を
すべきか”“これから何が始まるのか”“社会生活とは”“二人以上になった時点から即
社会生活が始まる”等々静かに投掛けたらどうか。効果は目に見えて現われ、怒鳴り声の
変わりに「確りして来たな、凄いぞ!」「まるで別人みたいだ」等と誉めさせて貰える。
お互いにとりどちらが幸せか。


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平成16年 9月


べてみればすごく美味しい物なのに、まずい物と決め込んで食べようとしなかったり、美
味しい味を知らずそれ程でない物を美味しいと思い込んでいる事がある。少し手を伸ばして
食べるみる事で、自分には出来ない、無理だと勝手に決めて行動しようとすらしなかった事
が出来、こんな力が自分にも在ったのかと知らされる。こんなに美味しく、こんな良い世界
が在るとは知らなかった。一度味わうと忘れられず、また食べたくなる。自らは進んで食べ
ようとしないものを食べざるを得ないように仕向けたり、食べたがらないものを、少々無理
をしてでも食べさせる、そんな機会や場を設定し、自分では気付かなかった力を知るきっか
けを作ったり、知らせてやるのが大人の大切な務め。子供と接する教員はそのプロでありた
い。食わず嫌いで自分の真の力を知らないままの子が多く残念。


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平成16年 8月

体験は宝こんなに苦しくて大変なこと、とてもじゃないけど続けられない。続けな
ければ駄目というなら、もうどうなってもいい。これ以上良くならなくても」
『こんなに大変なことを良く頑張るね、凄いね、って言われるけど、自分ではそんなに大
変だとは思っていない、それほど頑張っているとも思わない、本当はもっとやれるはず。
あの時、高校時代の部活動の合宿練習等に比べたらまだまだ楽なものだと感じています』
これは、リハビリで全く同じメニューに取り組んでいた二人が聞かせてくれた感想。もう
ダメもうたまらない、となるか、まだまだ大丈夫となるか、この違いはどこから来るのか?
性格など人間性からと考えがちだが、最も大きな違いはそれまでの体験の違いにあり、そ
の体験レベルが判断の基準になることが多い。“あの時”を持っている人と持たない人と
どちらが得か・・・。若い時に1つでも多くの“あの時”を体験させたい。


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平成16年 7月

子供たちの誰もが子供の根っこ、芯に生まれながらに持っている明るさ、元気さ、さわやか
さ、疲れを知らない活動力等は今も昔も決して変わらない。根っこ、芯に持っているものは
今も昔も変わらないながら、育て方の違いで後には大きな差異が現れる。この素晴しい芯を
隠したり変えたりすることなく自然に育てる人、良かれと思いながら大切に育てたつもりが、
手を掛けすぎ一時期は親にとって都合の良い子になったとしても、結果として抵抗力も育た
ず優しさや強さも無く自己中心的でひ弱に育ててしまう人。小学校1年生でも6年、中学生
で12年、高校生となれば15年、まして成人となれば20年、30年と各人各様のプロセス
を経て育てられている。長い期間を掛けて身に着いたものが良いもので無く、それを変化させ
ようとする時、最も効果的な方法はまず良くないものを一枚一枚剥がし芯に近づくことが大
切。それにはたとえ時間がかかってもとにかく話を聞きながら、心の内を聞き出しながら進
めると効果が大きい。


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平成16年 6月

大半は大人が根負け、そして『子供が悪い』『今の子は…』と言う子供たちの外見は
10人十色、みな異なるし昔と今とではより大きな違いがある。しかし、それは外見上の事で
あり、内面の芯の部分、子供たちの根っこには昔からの変らない、いかにも子供らしい素晴
しい共通点を見つけさせて貰える。ただ、その芯が簡単に見える子と、なかなか見せて貰え
ない子とがいる。この違いは何が原因か、それは、育てられて来た環境によるが、特に親を
筆頭に接した大人の影響が大きい。勘違いした優しさや自主性、個性の名の下に何でもあり、
何をしても許される。これは意地の悪い見方をすると、どうでもいいよ勝手にどうぞと同じ。
または、厳しさの名の下に総てがダメ。がんじがらめに縛ってしまう。こんな育て方が芯を
遠ざける。たとえ遠い芯でも、大人が根負けしなければ行き着けるのに。


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平成16年 5月

甘えは人の心を骨抜きに・・・ 乳幼児期を過ぎてまで、親が子供の世界にとっぷり浸かり、
転べば起こしてやるどころか、転ぶ前に支えてしまう。子供のためには、転ばない方法を、
転べば起き方を教え身に着けさせたい。これが子供にとっての本当の優しさであり、親切で
はないか。大変な事は総て親が代行し取り除いてやる。この事が、本来行動的で何にでも
挑戦したい。と言う子供が持っている大切な力を不用の物にしてしまう。子供はこの様な
生活に知らず知らずのうちに慣らされ、自ら考える必要はなく、我慢する必要もない甘えき
った生活が当り前になり、結果として自らは行動しようとしない人間と成って行くが、子供
に罪は無い。大人の都合からの過干渉・過保護はなんとも恐ろしい。
意味のあるプレッシャー
を、状況に応じて掛けてやるのが親の、大人の義務であり責任であるはずなのに…。


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平成16年 4月

何かに一生懸命になればなる程、様々なルールを増やし囲いを狭めたり強固なものにしたく
なる人が多い。一方、囲いの中に居る者にとっては、狭められたり強固になればなる程、息
苦しくなりその場から逃げ出したくなる。囲いの大小にかかわらず、強固に隙間無く囲われ
ると逃げ道、抜け道すら無くなる。抜け道が無くなると益々抜け出したくなり、抜け出すこ
とばかり考えるようになるのも当然である。どんな囲いでも密閉することなく、必ず何処か
に風が抜ける穴、ガス抜きの穴を残しておきたい。密閉され閉じ込められて暴発する前に。 誰にも、例え凄く頑張っている時でも、逃げ出したい時や少しでもその場から離れたい時が
出てくる。これが子供であればなおさらのこと・・・。あまりがんじがらめでは無く、常に幅を
のりしろを残しておきたい。より大きな効果、成長のために。


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平成16年 3月

大人が子供とのやり取り総てに、正しいもののみを求め“ウソは絶対に許さない”だけでな
く、時には承知しながらだまされてやることが、後に大きく生きる。 子供にだまされるな
んて、大人としてのプライドが許さない、では無く大人であるがゆえに許せる大人になりた
い。知っていながらだまされることが、後のやり取りの中で、信頼関係等を大きく実らせて
くれる材料となる。後に笑いながら、知っていたよ“ウソ”だと言うことを…。解っていな
いと思っていたのか、それは甘いよ。等と話せれば最高。「あの時はごめんなさい…」少し
照れながら清々した顔で、見事な区切りをつけてくれる。子供との間だけでなく、上司と部
下等大人同士でも時には必要であり効果的に機能する。大人も子供も、苦し紛れに事実と違
う話をする時も有るが、話した本人は自分の「ウソ」を皆自覚しているもの…。

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平成16年 2月

果実を育てるには、まず土を耕し、種を蒔き水をやり肥料を与え、多くの時間と労力が根気
良く繰り返しかけられ、その結果として果実が収穫される。苦労して手に入れた果実でも、
総てが満足の行く物とは限らない。中にはほんの少し形が悪いだけで、味とか内容は変わら
ないのに、使い物にならず廃棄される物もある。この様に果実のことで考えると、多くのプ
ロセスと苦労が無くては収穫できない事は誰でもごく自然に理解できる。ではこれが人を育
てる場合にはどうでしょうか。「今言ったことが分からないの」「今言ったばかりでしょう」「何故今言ったことが出来ないんだ」等、日ごろ多くの場面で何気なく使われている言葉。
これらは総て言葉を発したその場で、果実を、完成品を手にしようと期待していることになる。
たとえ無意識に発している言葉であったとしても・・・。種を蒔き待ちたいものですね。


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平成16年 1月

私たちが生活を送っている周囲は雑菌だらけと言っても過言ではない。そこで、大切な子供
をしっかり育てたいがために、乳幼児期に親が神経を使いに使って、子供を無菌状態で育て
たい気持も少しは理解できる。 しかし何才までも腫れ物にでも触れるような感覚の無菌状
態で育てたのでは、生活に対する多種多様な免疫も抵抗力も育たず、将来現実の生活を、間
違いなく雑菌だらけの世界で送らざるを得ない子供にとっては、迷惑以外の何物でもない。 無菌状態を作り出すために必要となる、子供に対する過干渉・過保護は、人が成長して行く
自然の流れに逆行するばかりでなく、何よりも大切な人の心を骨抜きにし、自ら考える力、
我慢し耐える力も育たず、ただ甘えた指示待ち人間を増やすだけとなる。この様な状況を作
り出している親や大人に対し、幼い子供達は残念ながら無力で何もできない。


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平成15年12月

野球でのキャッチボ−ルは、捕り易いボ−ルを投げ合いますが、心と心のキャッチボ−ルの
場合はどうでしょうか。 その手段として、最も身近なものは言葉と表情です。心と心のキ
ャッチボ−ルが行われる時、捕り易いボ−ルばかりを投げ合って居れば、お互いが自然で楽
な事は間違いない。しかし親切でしょうか? 良くないボ−ルでも受け捕ってくれ、いつでも
良いボ−ルを返してくれる。これが当り前となれば、良い意味での緊張感も、投げ方や受け
取り方の変化や苦心も総て不要となり、優しさや強さとはかけ離れた、弱さ甘さ薄さ軽さに
つながる。一方、何故あんなボ−ルを返すのか、何故捕ってくれないのかと考え、結果とし
てよく考えて投げ、受け捕る様になれば、心を込めた行動につながって行く。これは大人か
ら子供へは元より大人同士でも意地悪では無く、優しさであり親切な贈り物となる。


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平成15年11月

チャンスとピンチ チャンスが良いことで、ピンチが悪いことのような捕え方をされるこ
とが多いのが一般的です。果してその通りでしょうか。チャンスで攻めている時、調子に乗
っている時は欠点が目に付かず、たとえ欠点が有っても気づかない。したがってチャンス状
態が続き、苦しいことが無く良いことばかりが続いていると、欠点があるのにその認識が無
い、と言う恐ろしいことになる。一方ピンチになり追い詰められると、常日頃表面に現れる
ことなく隠れていた本性が表面に出てくる。日頃見えないものが見えてくる。日頃感じない
ことを感ずるようになる。そしてピンチに対する対応も身に着けて行くことにつながって行
く。ピンチの体験が無いままで年齢を重ねると、独善的になるばかりでなくピンチから逃げ
回り、他人を悪者にして解決させようとしたりする。ピンチこそ最大のチャンス!!


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平成15年10月

プレッシャーを与えない、ストレスを感じさせない、競争もさせない。苦しませない、悩ま
せない、競わせない。その上、欲求や願いは聞き入れてやる。子供にこんな生活をさせる
ことが優しさで、親切であり、のびのび育て大切にすることだと考えている人がいる。もし、
親が、大人が、このような接し方をしていたら、将来とても恐ろしいことになる。苦しま
ず、悩まず、負けることも無い、当然悔しさを味わうこともなく育って行ったとすると、
総てが自分の思い通りになると考えても不思議ではない。壁にあたりプレッシャーを受け
た時、努力してはねのけ乗り越えたり、悔しくてもあきらめて我慢したり、もっともらし
い理由をつけ逃げてしまったり、悩み苦しみながら体験してゆくことが大切。自らの行動
で喜怒哀楽を体験してこそ、私達の最も大切な優しさ、強さ、そして明るさが身に付くの
では・・・。大人も同じですね。


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平成15年 9月

何故?ネエ何故ダメなの?何故こうなるの?と、幼い子から次から次にこんな言葉を投げ
かけられた覚えはありませんか。どんなことにも興味を示し、うるさい程に質問をしてく
る時期がある。そんな時、如何されますか。対応の仕方には種々あります。何故かを考え
られるように仕向け、話しながら一緒に考える。何かヒントを投げかける。そんな面倒な
事はせず、それは・・・だ。と直ぐ答えを伝える。うるさいなあ、今忙しいから。そんな事
どうでも良いだろう。と感情が優先し、面倒がり入り口を閉ざす。無視をし相手にせず何
も言わない。等々。どんなに面倒でも何とかして考える材料を提供したいですね。即答え
を、で無くせめてヒントを・・・。2〜3歳児でも「何故」をじっくり話すと驚く程の反応
を見せ、嬉しい気持を味合わせてもらえます。でも、根気が要ります。でも、確実に育ちます。


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平成15年 8月

何かに失敗し挫折した者が、その後大きく見事に成長して行く姿を何人もから幾度も見せ
られた。しかし、屈折した者が成長する姿には、残念ながら一度も出会っていない。何か
に失敗し挫折した時、何故なのかを屈折することなく素直に見つめ、素直に認めることに
より、目標に向かっての新たなスタートが切れる。屈折している場合は挫折と異なり、まず、
捩れたり捻くれたりして屈折した部分の修正が優先してなされないと、成長など先への展
望は決して望めない。挫折と屈折、語感からは似通っているようでも、後の成長につなが
りやすい挫折とつながりにくい屈折とでは大きな違いがある。成長につながりにくい、捩
れたり捻くれたりの屈折を自分がしないばかりか、他人を屈折させたりすることが無い生き
方をしたい。まず、自らが素直に生き、そして周囲をも素直に生きさせたいものですね。


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平成15年 7月

「そんな事をすると先生に言っちゃうよ・・・」「言う事を聞かないとお父さんに言いつ
けるよ・・・」次第に口調は強くなる。そして、思い通りにならなかった時、イライラし
怒ってしまい、無視をして突き放す。どんなに強く出ても、状況に変化は見えず効果も
薄く、疲れのみが残る。形は異なっても、特別に意識せず何気なく取られている行動で
はないですか。では、どうして効果が薄いのか。最も大切なものが欠けていると思いま
せんか。その大切なものとは何か、それは“何故ダメ”なのか“何故良い”のかの“何故”
です。説得力があり納得が行く“何故”がついている行動には迫力があります。例えそ
の時は面倒で時間が掛かっても、“何故”をしっかり説明し、「言いつける」とか誰か
に怒ってもらう等で逃げないようにしたいものです。それが判断力を養う大きな力とな
り、本物が確実に育ちます。


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平成15年 6月

入口から入って来て、凄く明るくなった感じがし、うきうきと楽しくなる」「見事な
環境で気持よく泳げ、素敵な時間を持て幸せです。感謝しています」お客様から、こ
んな凄く嬉しい声を頂きます。プールで総てに優先すべき事は、まず皆様の安全、そ
して水質を始めとした施設と環境の整備です。しかしどんなによく整備された施設で
もそれで心地よく過して頂けるか、となると絶対に欠かせないものがまだあります。
それは“人”です。挨拶は人の心と心を近付けます。しかし挨拶の有り様によっては、
遠ざけもします。大きな声で元気良く、と言われますが、どんな時でもただ大きければ、
となると、それは“挨拶”では無くただの掛け声です。声なしの目礼のみにすべき状況
もあり、その場に合った、心を近付けられる挨拶でお迎えし気持よい有意義な時
をお過
ごし頂けるようにしたいものです。


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平成15年 5月

今日は1000mとか2000m泳いだ、と事もなげに話しているプール利用者の声を
よく耳にする。そんな時、25m泳いだだけで息が上がってしまう者にとっては、それ
がとてつもない別世界の事で、しかもすごい人に感じられる。2000m泳いでもなん
ともない人、命がけで臨んでも泳げない人、人それぞれ。それぞれの差異はそれまでど
んな生き方、どんなプロセスを通って来たかによる。要は何に慣れて来たかによって違
いが現れる。毎朝、家族が顔を会わせた時、お互い挨拶が当たり前の家、挨拶など無いの
が当たり前の家。食事の際クチャクチャせず食べるのが当たり前で、クチャクチャしよ
うものなら即注意され、守れなければ手が飛んでくる家。そんなことどうでも良い家。
何に慣れているか。慣れは素晴しい事でありながら、慣れようによっては恐ろしいこと
にもなる。


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平成15年 4月

4月、年度が変わる。それに伴い人が入れ代わったり移動する。人の動きがあると常に
ついて回ることがある。今年の新入社員は…。今年の新人は…。今度の…はと。程度の
差はあれ、必ずと言ってよい程何処でも話題になる。殆んどの場合良くないことを表現し
ようとして使われる。その代表的なものが‘今の若者は…“‘今の高校生は…“となる。
では、‘今の若者“‘今の高校生“がそんなにおかしくダメなのか、と言うと否、と言
い切れる。表面的には年々おかしくなり嫌な奴が多くなっている。それは総て親が、教員が、
周囲の大人がそうしたことであり、彼等の‘根っこ“は今も昔も変わらないことを彼等
に教えられ続けてきた。ただ、その根っこに簡単に行き着けるものと、労力と時間がかか
り苦労するものとがいる。この差異も大人の育て方が総て。その点、正直に大人の鏡と
なる若者たちは怖い存在。


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平成15年 3月

そんなこと当たり前じゃないか・・・。それは常識だよ。これが普通だよ当然じゃないか。
等と言われれば、そのことは何処でも同じであり正しいこと、と考えるのが一般的。
ところが現実は家庭により人により各会社により学校にもより、学校内では学年、クラス
そして部活動によっても異なることが多い。それぞれの集団に於ける「当たり前」
「常識」「普通」が、たとえ間違えていることであっても、その集団ではそれが「当た
り前」「常識」「普通」と思い込まれているから恐ろしい。かつて大人の、子供の、
日本人としての広範囲な「当たり前」があったような気がする。先に生まれたものの義
務である、継承すべきを継承してこなかった、出来なかった大人のツケばかりの今の世、
子供達が可哀想。


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平成15年 2月

“立春”を光の春、と素敵な表現がされる。厳寒期なのに光の量、明るさ強さは日々
確実に増している。寒さが厳しい時、身体は筋肉を緊張させ産熱し身を守る。意識と
は関係なく身構えてくれ、私達は助けられている。では、意識が心が構えたらどうか
。構えて結果が良い事はまずない。内心何かまずい事がある時、他から指摘されたと
する。構えていると
“うるさいなあ、ほっといてくれ、何が悪いんだよ”と、例え口で
言わなくても目や態度がそう言ってしまう。全く同じ状況でも構えていないと“ごめ
んなさい”の一言と笑顔で終ることが多い。子供と大人、部下と上司、子と親、生徒と
教員、構えず、構えを取り除いてやる立場の人が、逆に構えさせていることが多く残念。
構えると疲れ、長続きせず失敗し負ける。構えず、構えていれば解いてやる、そんな
生き方が出来れば・・・。


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平成15年 1月

年が改まる。12/31から1/1、僅か一秒の違い、しかも365日毎日同じことが
繰り返されているのに、この日だけは特別、気持ちまで改められるから有り難い。
時間はどんなに世界が変わろうとも、人に何が起きようとも一秒たりとも止まること
なく流れている。
人は各々楽しい事苦しい事を皆持っている。思わぬ困難に遭遇した時、
その困難が何も解決せず経過しても時間は薄めてくれる。楽しく嬉しい事までも薄めて
しまう。どうしようもなく悲しいことにであった時、薄めてくれる時間がもしなかったら、
多くの人が押し潰され、生きて行けないのではないか。‘時間薬“とも言われるが、時
間は凄く有り難く、又怖いものでもある。嘗て想像すら出来なかった様な何でも有りの
世の中、せめて自分の中だけでも新たな気持ちでスタートしたいものですね。
時間を味方につけて…。良いお年を…。


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平成14年12月

ドアーに軽く手を添え開けたまま無言で一呼吸待つ。次の人が“有り難うございます”
の声とともにドアーに軽く手を伸ばす。ただこれだけのほんの僅かのやり取り、でも
そこにはなんとも暖かい和やかな空気が流れる。 しかもお互い笑顔になる。全く同じ
状況でも、有り難うは無く、ドアーに手を伸ばすでもなく、しかも、何やってんだ、邪魔だ
よ、とでも言いたげに無言で自分が先に通り抜ける。コンビニの出入り口ドアーでの
こと。髪形、服装、顔つき等どう見てもヤンキーの若者から和やかな空気を貰い凄く
得した気持ちにさせて貰ったり、スーツ姿のバリッとした紳士風の大人に悲しくさせ
られたり・・・。40年以上前、高校の英語の授業中“ドアーマナーを知っているか“
と教えてくれた先生に、今感謝している。


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平成14年11月

“便利さ”が私たちの生活に、時間や労力のみならずあらゆる面から多大な恩恵をもた
らせてくれている。便利さと共に私たちが成長すれば最高。でも、そう都合良くは行か
ないようです。便利に慣れることにより、横着に、贅沢に、生意気に、そして欲深くなり、
人間が本来持っている素晴しい力を発揮する必要が無くなり、その力を忘れ、必要な場
面に臨んでも何も出来なくなってしまう。便利さは大変ありがたい反面、人間の最も大
切な心を蝕む怖さを含んでいる。こんな世でスポーツを行うことは最も贅沢で、便利が
入り込めない原始的な世界です。水に浮かび進む水泳はその最たるもの。水泳で思い切
り不便に挑
戦。今不便が最高の贅沢。


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平成14年10月

挨拶をするつもりでタイミングを逸して出来なかったり、ゴミを拾うつもりが蹴ってしま
ったり、電車等で席を譲るつもりが寝たふりに変わってしまったり・・・。周囲の目が気に
なっり、照れくさかったり、意気がったりして・・・。結果としてすっきりしないも
のだけ
が心に残る。こんな経験を大なり小なりお持ちではありませんか。
今の世、なんとなく良く
ないことを行うのに勇気がいらず、正しいことを行うのに勇気が必要、こんな逆転現象す
ら感じられます。ほんの少しの“チョットした勇気”でお互いがさわやかに気持ちよく生
きたいものですね。その気があり、気がつきながら行動できな
いなんて、あまりにも残念・・・。


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平成14年 9月

人の好みは各人各様で当然。「どんな人が好きですか?」との問いに「優しい人」との
回答が凄く多いですね。“優しさ”が私たちが生きて行くうえで欠かせない大切なもので
あるこ
とに異論は無いのですが、その優しさについて考えさせられる時が多々あります。
それは自分の希望を何でも聞き入れてくれる人、自分の思い通りになる人を優しい人、
と勘違いしているのでは、ということです。優しさは人を大切にし、しかも人を育てて
くれます。甘さや弱さは結果的に人を粗末にし、人を崩してしまう大きな要素です。手
を出したくても、口を出したくても、黙って見守る優しさも大切にしたいものですね。
辛い事が多いですが・・・。

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平成14年 8月


夏は暑いもの。と、誰も皆承知している。しかし、いざ暑くなると、ついつい口から
愚痴が出る。「暑い」「暑い」と・・・。いくら「暑い」といっても何も変化せず、涼しくなる
はずも無く、イライラが増すばかりなのに・・・。夏が暑くなければ、また梅雨時には雨

降らなければ、育つべきものも育たず私達の生活に支障をきたす事も多い。時には
暑さで思い切り汗をかき、暑さと仲良くしたいものです。もうすぐそこに、暑い季節が
懐かしく、もの悲しささえ感じさせられる時、秋が待っています。

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