| 予定表コラム集 |
平成20年 7月 【五輪との縁】 県立水泳場所長 石川龍三コラム 北京五輪選考会も終り、水泳の日本代表も決定しました。ある選手は優勝はしたものの標準記録に今一歩で落選。あるいは標準記録は突破したものの、第三位で落選と大変厳しい戦いでした。五輪は四年に一回です。毎年行われるのであれば、今年ダメでも又来年という事になるのですが、水泳では今回ダメだったので又四年後と、そんなに簡単ではありません。選手にとっては四年に一度のチャンスではなく一生に一度のチャンスなのです。日本一に何度もなっているのに五輪には行けなかった選手。五輪の年になると強く、二回も三回も出場した選手。五輪との縁を感じます。五名の五輪選手を育成し、自身も二回コーチとして参加できた私は幸せ者です。 |
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平成20年 6月 【エンジョイ シドニー五輪】 県立水泳場所長 石川龍三コラム 2000年シドニー五輪はフィリピンチームのコーチとして参加しました。フィリピン選手のレベルは世界とは大きな差があり、五輪へは国際水連の設定した参加標準記録を突破し、出場する事だけが大きな目標でした。五輪本番の2〜3ヶ月前に、国際水連の指定した公認大会を選択し、マレーシアへあるいは香港へと遠征し、標準記録突破(五輪出場)を狙います。そんな訳で五輪本番は出場できた“ご褒美”のような感じで、緊張感は今一でした。その代わり陽気で明るいフィリピン人なので、祭典を楽しむことはピカイチです。私自身も開会式から閉会式まで、選手村での生活・五輪(他の競技観戦)をしっかりエンジョイする事ができました。 |
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平成20年 5月 【緊張のバルセロナ 】 県立水泳場所長 石川龍三コラム 1992年バルセロナオリンピック。4月の選考会後召集された日本チームは、開会式までの約3ヶ月間ヨーロッパ各地での合宿を経て本大会へ望みました。当時のメンバーはレベルの高い選手達で、【世界と戦う集団】でした。参加だけで満足している選手はおらず、われわれ8名のコーチングスタッフもぴりぴりしていました。大会期間中はそれぞれが持ち場(例サブプールでアップ担当)を任され、スペイン語を話す私は招集室(レース前に選手が最終チェックを受ける場所)で、選手をレースへ送り出す役目でした。選手は当然緊張しますが、コーチだって同じです。現地役員の人達とおしゃべりし、いかにも平静ぶっていましたが、内心は緊張の連続でした。 |
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平成20年 4月 【オリンピックB】 県立水泳場所長 石川龍三コラム 漢人はその後も順調に成長し、高校2年生の時には当時10年間も破られていなかった100mバタフライで日本新を樹立・ワールドカップでは、100mと200mバタフライで3連勝し、その年の総合チャンピオンと獲得賞金第1位にもなりました。そして、高校3年でバルセロナオリンピック出場です。バルセロナでは400mメドレーリレーで7位入賞はしたものの、個人種目のバタフライでは期待されたメダル獲得はならず、陽子には今でも私の力量不足申し訳ないことをしたと思っています。そんな漢人陽子さんも、現在は藤本陽子さん・1児のママです。長男亮君がいつ水泳デビューしてくれるのか?陽子との思い出はすばらしい思い出。私の誇りです。 |
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平成20年 3月 【オリンピックA】 県立水泳場所長 石川龍三コラム 指導者となってオリンピックへ行こう。幸いすばらしい選手達と巡り合う事ができ、1992年バルセロナ・2000年シドニー・2004年アテネと計5名のオリンピック選手を育成することができました。その第1号が漢人です。彼女を小学1年生から浜松商業を卒業し早稲田大に送り出すまでの12年間、ずっと見続けました。彼女は小学生の頃から全国ジュニア大会でもまったく物怖じせず、大物ぶりを見せていました。中学では日本中学新を樹立し順調に成長。高校1年で初めての全日本入り、アジア大会では2個のメダルも取りました。世界選手権でも3種目(50m・100m・200mバタフライ)すべて入賞を果たし日本を代表するスイマーへと成長しました。…つづく |
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平成20年 2月 【オリンピック@】 県立水泳場所長 石川龍三コラム 2008年おめでとうございます。今年は4年に1度の閏年(うるうどし)・アメリカ大統領選挙・そして北京オリンピックです。1964年の東京オリンピック、当時小学5年生だった私は陸上100mのヘイズ・水泳のショランダー、すべてに強烈な印象を受け、大きくなったら自分もオリンピックに出てみたいと思う様になりました。子どもの時の夢です。その後、水泳と巡り合い大学卒業まで頑張ってきましたが、選手としては全国大会入賞程度で、とてもオリンピックなどという器ではありませんでした。それでもオリンピックへの夢は捨てきれず、それなら指導者になってオリンピックへ行こうと思う様になりました。そしてその第1号が漢人陽子選手です。 |
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平成20年 1月 【軍事政権】 県立水泳場所長 石川龍三コラム この一年間ミャンマーでのことを書き続けてきましたが、大変残念な悲しい出来事で、この国がクローズアップされてしまいました。熱心な仏教徒であるミャンマー人の対日感情は決して悪くありません。ただ軍事政権であり組織の中では自由に物を言う事もできず、生きていく為に必要な知恵なのか、一部のポストにいる者だけがおいしい思いをしている。日本政府からの援助物資(水着・ゴーグル等)も一部力のある水泳関係者が売りさばき私腹を肥やしていました。日本政府は一歩間違えば「内政干渉」と言われ弱腰です。アメリカは決してミャンマーとは呼びません。今でも昔の国名「Burma」バーマと呼びます。現在の軍事政権を認めていない証拠です。 |
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平成19年 12月 【広島アジア大会・後半】 県立水泳場所長 石川龍三コラム 大会初日が勝負です。若い選手達ですので、ビック大会に興奮し大ベストを出す可能性もあれば、反対に緊張から何も分からず終わってしまう場合も考えられます。そしてもし悪かった場合は「やはりアジア大会なんて場違いなんだ」と思ってしまう。とにかく初日に良い結果を出さなくてはいけない。そんな中男子100m平泳ぎでベストタイムを3秒短縮し決勝進出。この決勝進出でその後のレースも萎縮せず、結果4種目も決勝進出できました。特に女子100mバタフライ決勝では、愛弟子だった漢人陽子とモートゥアウンが一緒に泳ぎ、何とも不思議な気持ちと、私だけにしか分からない、私だけが味わうことができる感動、感無量、胸にぐっと来るものがありました。 |
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平成19年 11月 【広島アジア大会・前半】 県立水泳場所長 石川龍三コラム 1994年10月広島で第12回アジア大会が開催されました。1年前ミャンマーに派遣されてから、正確には派遣される前の、まだミャンマーの選手を見ないうちから「1年目の目標はアジア大会」と決めていました。ミャンマーでの練習環境や選手のレベルを見ないうちですので、今思えば尋常ではありませんでした。しかし自分自身へのプレッシャーの意味も含め、とにかくアジア大会へ参加、できれば1種目でも決勝進出というのが目標でした。大会初日が勝負と考え、若い4名の選手(女性14歳と15歳・男性15歳と16歳)で大会に臨みました。私自身も1年間の成果を日本の皆様に披露できる絶好の場であり、意気込んでの参加でした。。。。つづく |
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平成19年 10月 【年齢別大会・地方開催(後半)】 県立水泳場所長 石川龍三コラム ミャンマーでは競技人口も少なく競技レベルも低いですから、日本のように標準記録などはありません。日本ではよくベストタイムで泳いでも標準記録にいま一歩届かず悔し涙を流していたり、コーチに怒られたりしている姿を目にしますが、どちらがいいのか少し考えさせられました。ヤンゴン夕方6時出発から翌朝9時マンダレー到着。まずはホテルで休憩と食事を取り、午後からのレースに備えます。15時間の夜行列車の後のレースです。それも寝台ではなく座席シートです。恵まれた日本の選手だったらさぞ文句を言うだろうなと思いつつ、そんなことは一言も口にしないミャンマーの選手を頼もしく感じました。 |
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平成19年 9月 【年齢別大会・地方開催(前半)】 県立水泳場所長 石川龍三コラム 1994年5月、いつもミャンマー国立水泳場で練習しているヤンゴンの選手たちは、全国大会初の地方開催のため、ヤンゴンから北へ720qのミャンマー第二の都市マンダレーへ向かいました。夜行列車の発車から車内ではビールを飲んでお祭り騒ぎです。選手(ジュース)も父母もコーチも、大会は一種のお祭りです。今から勝負に行くんだとかいう気負いは全くありません。レベルが低いからこうなのか?いやレベルに関係なくスポーツ本来の姿をここミャンマーで見ているのか?私の選手たちにしても、何にでもエントリーしてしまう。まさにレースを楽しんでいるといった感じでした。…つづく |
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平成19年 8月 【理想的体型のモー選手・後半】 県立水泳場所長 石川龍三コラム 私がミャンマーで一番期待したモー選手。彼女は面構えもいいし、性格も大変負けず嫌いで競技者向きでした。泳ぎは、漢人選手が腕でグイグイ引っ張る力強い「剛」の泳ぎだったのに対し、モー選手は強いキック力を生かした、しなやかな「柔」の泳ぎでした。私はミャンマーでも世界に通じる選手を必ず育ててみたいと思っていました。しかし、実際世界を目指すレベルとなると選手自身の持つ素材・素質という部分も大きなウエイトを占めます。その意味ではわずか30数名しかいないミャンマー水泳選手の中に、私をワクワクさせる選手がいたことは大変ラッキーでした。・・・つづく |
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平成19年 7月 【理想的体型のモー選手・前半】 県立水泳場所長 石川龍三コラム モートゥアウン。身長165p・体重47kg、手足の長いスラリとした体型、そして柔らかな身体。水泳選手として理想的なものを持っていました。初めて彼女を見た時から「よしこの娘だ。」と感じました。時々、「石川さんはバタフライの指導が得意ですか」と聞かれます。私自身バタフライの選手でしたが、特にバタフライの指導に自信があるわけではありません。しかし、あくまで偶然だと思いますが、私がコーチした南米コロンビアではバタフライの選手が南米選手権で優勝し、日本では漢人陽子を指導し、日本新記録・オリンピック等活躍してくれました。そして、ミャンマーで一番期待したのが、バタフライのモー選手です。(後半へ続く) |
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平成19年 6月 【ミャンマー国体】 県立水泳場所長 石川龍三コラム 1994年2月ミャンマー国体が開催。開会式は軍事政権キン第一書記長を迎え、軍落下傘部隊まで登場し、派手に行われました。水泳競技は4日間。競技人口が少ないため予選は無く、毎日午後4時からの決勝のみ。日本での忙しかった国体を思い出すと嘘の様にのんびりした大会でした。大会は、各省庁の得点争いです。選手は各省庁に所属し、学生ですが各省から毎月給料を支給されています。額は能力によって異なり、800〜1500チャット(1チャット=1円)。公務員給与は約2000チャットです。また大会には賞金もあり、私の選手モートゥーアウン(中1女子)は、4個の金メダルと4つのミャンマー新記録で計80,000チャットも獲得しました。 |
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平成19年 5月 【 違 い 】 県立水泳場所長 石川龍三コラム ミャンマーと日本の水泳、一番大きな違いは水泳人口です。日本では、一スイミングクラブで何千人の子どもが泳ぎ、それが全国中ですから、水泳人口はかなりの数になります。しかしミャンマーの水泳人口は、ヤンゴンの国立水泳場に泳ぎに来る百名程だけです。そしてその内の7名が私の選手という事です。練習一番の重点は、長期視野で指導する事です。無理せず、焦らず、少しずつ練習法を理解させていく。練習を丁寧に説明しながら進める為、時間はかなりかかります。しかしミャンマーの子供達は今まで指導らしい事を受けた経験が無く、大変純朴についてきてくれました。この7名で1年後の「広島アジア大会出場」目標に向かってスタートしました。 |
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平成19年 4月 【初めが肝心】ミャンマーでの仕事開始。何事も初めが肝心です。まずは全体会議を開く事。出席者はすべて私が指名。スポーツ省の大臣からミャンマー水泳連盟関係者。そして日本側からは大使館の文化担当官と私です。海外での仕事では、前回の経験からも遠慮せずハッキリ物申す事が大事です。@給料・住宅は日本側負担。ミャンマー側負担は自動車・運転手をお願いします。Aプールの水ですが、今のままではプールとは言えません。用意した水中カメラも役に立ちません。Bプールはコースロープを常時張って下さい。C私のクラスは3名です。しかし最後のクラスについてはミャンマーからの要請もあり、3名+4名=7名でのスタートとなりました。(記:所長石川) |
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平成19年 3月 〈マイナスからのスタート〉ミャンマー国立水泳場は「聖なる黄金の塔」シュエダゴォンパゴダが、まぶしいほど金色に輝くヤンゴンの中心部に位置し、50m×25m・9コースの古いコンクリート製のプールでした。選手達はコースロープも張らず、まったく透明度のない溜池の様な状態の中を、横25mをいっぱいに使い、全員一斉に泳いでいきます。年齢的にも小学校低学年もいれば、大人(マスターズスイマー)そして選手らしい中学生と様々です。ミャンマーでの指導は、まずはプール管理、年齢・水泳能力別クラス分け、それからコースロープを張り、右回りに泳ぐ事と、ゼロからいやマイナスからのスタートでした。(記:所長石川) |
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平成19年 2月 〈仏教国ミャンマーへ〉私がミャンマーでの指導を決心したのは1993年です。タイのバンコク経由でミャンマーの首都ヤンゴンへ。日本人には旧ビルマ・首都はラングーンといった昔の地名の方が親しみ深いかもしれません。日本映画の名作「ビルマの竪琴」はあまりにも有名です。「聖なる黄金の塔」シュエダゴオンパゴダが金色に輝くヤンゴンの街。熱心な仏教徒であるミャンマーの人々。僧を心から崇敬し、親や先生を敬う習慣があり、家庭内において親の子供に対するしつけは厳しいです。そんなミャンマーの子供達は純粋な瞳をしています。必ずシュエダゴオンパゴダのような金色に輝くスイマーを育てると自分自身に誓いました。(記:石川所長) |
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平成19年 1月 〈クリスマスとお正月〉メリークリスマス・そしてハッピーニューイヤー。クリスマスとお正月、日本ではお正月重視の傾向ですが、海外(特にキリストの国)ではやはりクリスマスです。水泳もクリスマス前までに大きな大会を終了し、クリスマス時は皆がゆっくりとクリスマスを楽しめる様に日程が組まれています。アメリカ人コーチの離婚率は高く、その原因にクリスマス時に練習を行い、家庭を軽視する事も理由になっていると聞きます。私も当初は日本流にクリスマスを無視の練習を行いました。しかしこれはナンセンス、「郷に入っては郷に従え」クリスマス時は連日連夜パーティーで2日酔いの毎日です。(記:石川所長) |
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平成18年 12月 〈別れ〉クラウデア・パトリシア・フイリアン名前をあげればきりがない。私の最初の教え子達です。最初の教え子が外国人だった事もあり強い印象があります。今までに海外では計4カ国、10の地域で指導をしてきました。まだ見ぬ地、初めて出会う子供達にワクワクし、毎日が遠足前日の晩の小学生の様な気持ちで生活をしていました。午前3時半に起床し4時半にはプール到着。5時からの早朝練習に備えます。このワクワク感・充実感がたまらずついつい長い海外生活になってしまいました。しかし出会いがあれば当然別れもあります。頭では理解できてもつらく哀しい別れです。今では便利な携帯電話が有り、教え子達とのメール交換が毎日の楽しみです。(記:所長石川) |
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平成18年 11月 〈南米美人〉今月は水泳を離れペンを執ります。南米コロンビアといえば、コーヒー・エメラルド(世界一)そして南米美人。悪い方では麻薬生成工場です。南米美人について、毎年開かれるミスワールドでは、必ず中南米代表はベストテンに数名入っています。長い歴史上いろいろな血が混ざり美人が生まれるのでしょう。そしてラテン系の明るさ・笑顔・愛想の良さがよりステキな南米美人を作るのでしょう。当時私もスペイン語の勉強を理由に、用はなくても体協事務局へ入り浸り、美人秘書達とおしゃべりです。最初の頃は笑顔・愛想の良さに皆が私に気がある様錯覚し己惚れたものです。あれから30年南米美人が懐かしいです。(記:所長石川) |
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平成18年 10月 〈マイアミ年齢別大会〉1978年夏(6月〜8月学校夏休み)水泳協会より、8月にコロンビア・ バジェ県代表チームをマイアミ年齢別大会へ派遣と発表され、プールは気合いの入った 選手達で熱気ムンムンでした。7月の選考会後代表合宿を経て、8月マイアミ年齢別大会 へ参加。北はカナダから南はブラジルまで、各国それぞれクラブチームであったり、代表 チーム(市代表・県代表)だったり盛大な大会でした。大会初日から金メダルは取れないも のの2位・3位は数多く、3日目には待望の金メダルも獲得。そして最終日思いもかけない 男女総合優勝。翌日はご褒美全員でディズニーワールドへすばらしく楽しい最高の1日で した。(記:所長石川) |
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平成18年 9月 〈強い南米水泳〉南米=サッカー。では、水泳は強いの?ズバリ高いレベルです。 理由@アメリカとの交流が盛んである。A南米の選手は高卒後アメリカの大学へ進学、 水泳はアメリカの大学チームで行うケースが多い。当時マイアミ大との交流が盛んで 冬12月〜1月にかけてマイアミ大チームが気候の良いコロンビア・カリ市に合宿にやっ てきます。そして夏8月には我々がマイアミの大会に参加します。当時マイアミ大には イギリスからの留学生平泳ぎの世界記録保持者、オリンピック金メダルのデビット・ ウイルスキーが泳いでいました。デビットのすばらしい泳ぎ、すごさは私にとって大変 よい勉強になりました。(記:所長 石川) |
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平成18年 8月 今月は海外でのお話は休ませて頂き、皆様にお願いしたい事がございます。それは専用 コースの使用についてです。皆様からの提案箱の中に専用使用に批判的、ズバリ「邪魔だ!」 という意見がございます。大変残念に感じます。当水泳場は県立の施設であり、県民の皆様 に気持ちよくご利用して頂く事が第一ですが、同時に県内水泳界の競技力向上という大き な柱もございます。若い中・高生がそれぞれの目標に向かい頑張っています。この中から 将来、オリンピック選手が育つかもしれません。どうか温かい目で若い選手達を見守って あげてほしいと思います。無理なお願いでしょうか?ご理解、ご協力をお願いします。 (記:所長 石川) |
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平成18年 7月 〈新米コーチと天才児〉新米コーチだから焦らずのんびりやればいいさ。こんな声もあり ます。しかし、コーチは新米でも選手がすばらしい素質だったらのんびりなんてできませ ん。私とファンカルロスは、まさにそんな巡り合いでした。彼は天才肌。しかし、さぼり の方も一流。当時13歳、プールに来ても隣のグランドでサッカー(南米少年はサッカー好 き)。まずはプールへ連れ戻す。バタフライ専門なのにバタフライを泳ぐのは嫌い。当時 は私も若く手を焼きました。そんな彼が3年後16歳で南米選手権100mバタフライで優勝。 私にとって最初の大きな感動。今も忘れられない勝利です。(記:所長 石川) |
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平成18年 6月 〈褒め方下手な日本人〉南米コロンビアでの指導も約半年過ぎ、大分慣れてきた頃、水泳 連盟に呼ばれ注意を受けました。「龍三、試合でよい結果の時はもっと褒めてください。」 え〜っ、ショック!私だってベストタイムで泳げば「ムイビエン(大変よかったよ)」と声をか けていました。しかしここは南米。陽気で明るいラテンの国。口だけでムイビエンでは気持ち は通じません。男の選手なら握手して方を抱きかかえる。女の選手なら両手を広げ笑顔で 迎え、抱きかかえほっぺにキス。それで初めて良かったよ、コーチは喜んでいるよと気持ちが 伝わります。この経験が私のコーチ人生に於いて大きな幹となりました。(記:所長 石川) |
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平成18年 5月 〈スペイン語〉私の指導者のスタートは南米コロンビア・カリ市です。1年中温暖できれい な街でした。大学を出たばかりで指導経験はゼロ。スペイン語(中南米ではブラジルだけ ポルトガル語で他の国はスペイン語)のスの字も解らない若造が教えに行くなんて今思え ば無茶な話です。まずは時計のタイムが読めなくては仕事になりません。数字の1(ウノ)、 2(ドス)、3(トレイス)と声に出して練習です。人間切羽詰ると頑張れるものです。昼間は解っ ても解らなくても現地の人と会話。夜は辞書を片手に勉強です。ブエノスデアス(おはよう) コモエスタ(ごきげんいかが)。皆さんもスペイン語会話はじめませんか?(記:所長 石川) |
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平成18年 4月 〈自己紹介〉平成18年4月より所長の石川龍三と申します。宜しくお願いします。 私は、競泳コーチ一筋でやってきました。その内訳は、16年間は日本での指導、14年間は海外 での指導です。この1月に帰国し県立水泳場で勤務することになりました。日本での仕事は 13年ぶりになります。このコラム覧は、前所長の長い教員生活やラグビーの名監督としての 経験を生かしたすばらしいコラムを掲載し、ファンも多かったと聞いています。多少日本 語もつたない私ですが、コーチとして国際大会(オリンピック・ワールドカップ・アジア大会 等)への参加や長い海外生活での経験を生かし今回よりペンを執らせていただきます。 |
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平成18年 3月 - 試験のシーズン- 試験の思い出はどんなものをお持ちですか。入学試験、入社試験等 その後の生き方に作用するものばかりで無く、スポーツの試合も自分の力が試されると捉 えれば試験に相当。持てる力を総てとまで行かなくても、大きな失敗が無く力の大半を出 せれば、結果の良悪を別にして結果を素直に受入れざるを得ない。ところが現実は力を十 分に発揮出来ず悔いを残すことが多い。緊張し過ぎや頑張り過ぎで意識だけが先行し、誰 もが持っている自分をよく見せたい、勝ちたいという潜在的な意識が作用するのか。結果 として無いものまで出そうとしているのではないか。無いものは出そうとしない、その代 わり有るものは総て出す。この意識が徹底すれば余分な緊張は無く、あがらず構えず、結 果を素直に受入れられる試験や試合を行えるのではないか。最大・最強の敵は自分自身。 |
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平成18年 2月 片道1車線同士の交差点、多数の車が赤信号で停まっている。信号が青に、流れるはずの 車列が動かない。先頭車両が左折出来ず停まったまま。横断歩道に人が居れば動けない。 それにしても時間が長すぎる。大勢かと見ると一人だけ。動けない車列を楽しむかの様に ゆっくり渡っている。先頭の左折車と二台が直進し信号は赤に、他の車は数をより多くし 残された。高校生や中学生が悪戯で、敢えてゆっくり渡るなら、幼いなぁ、と笑えても、 子どもではなく、こんな大人が増えている様な気がしてならない。意識的に意地悪をして いるならばまだ救われる。しかし状況から何も感じないとしたら、感じないその心が哀し い。大人であるがゆえにお互いに軽く会釈し合ったり、小走りで通り抜けたり、譲り合 って通過する姿もたくさんある。こんな事に喜んだり期待するのがおかしいのでしょうか。 |
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平成18年 1月 -凧の糸- 凧揚げが冬の風物詩だった時がある。今では凧揚げをしている姿を殆ど見掛 けない。遊びの好みが全く異なり、身近に適当な場所も無い。風が無い時、力任せに糸を 引きいくら走っても揚がらず、電線や木に絡んで苦労したり、糸が切れ凧を追いかけたり、 全て遠い昔の事。急に強い風が吹いたり、強く引っ張った時、糸が張り切れていれば糸は 切れるしか無く、凧は何処かへ飛んでいってしまう。適当なたるみが有って初めて揚げ手 の意思が伝わり旨く揚がる。凧の糸を人の心に例え、親と子とか人と人の結び付きと考え た時、いつも糸が強く張れた状態が良いと考える人が多い。強く張れて居れば良い様でも 急な変化に対応出来ず切れるしか無い。逆に何も繋がって居ない人も多い。余裕を持ち、 急な変化で切れて飛んで行きそうな時だけ刺激を与えられる、そんな繋がりでいたい。 |
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平成17年 12月 心温まる親子の姿を見せて貰った。幼稚園児らしき女の子、元気な声で「今日は」そして、 品物名を伝え「忘れ物をしました、ありませんでしたか」所員から忘れ物を受け取り「ああー よかった」「ありがとうございました」やり取りはこれだけの事。母親は後方で笑みをたた えて見ていた。『大きな声で言えて偉かったね、凄いぞ』母親には『見事に育てていま すね、明るさと元気は宝です』『お子さんに言わせて黙って見ていたお母さんが何より 偉いですね』と事務所から出て言わずにはいられなかった。嬉しそうな女の子と照れ臭そ うな母親の表情が印象的だった。小学生どころか、時には高校生にまでも親が用件を代弁 しているのが現状。代弁された子供が可哀相。潜在能力を生かす学習の機会を親にむし り取れれてしまい、後々その大きなしっぺ返しが親や世の中に返されているのが今の世。 |
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平成17年 11月 「花は色、人は心」と言う歌をなるほど、と聞き入った時がある。花の色も人の心も 千差万別。驚く程の差異がある。子どもの頃母親から“客面をするな”と教えられた。 『ありがとうございます。』『お世話になります』と言うんだよと、その通りだと思い 教員時代自分が関わった生徒達に客面をするなと話してきた。もちろんその意味を説明 しながら・・・。買う側と売る側、金銭を払う側と貰う側、サービスをする側と受ける側 など立場が全く別の場合であっても、要は“人と人”だと言うことを・・・。一方、客と して金を払っている、したがってどんな要求をしても当然、又その要求に答えるのも当 然と言う人もいる。この人からすれば客がお金を払って『ありがとう』はおかしいじゃ ないかと言う事になる。これも然り。どちらの生き方をするかは人それぞれ・・・。立場 がどの様に変わっても“人と人”で生き続けたい。 |
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平成17年 10月 《ハードルを越える》陸上競技のハードル競技では、当然の事ながら、総てのハードル を超えてゴールする事が記録を成立させる最低限の条件となる。私たちが送っている 日常生活にも大小の超えざるを得ないハードルが次々と現れる。難なく超えて行く人、 苦しみながらも超えていく人、時には超えられない人、超えられなく悩んでしまう人、 総て逃げ道を見つけ超えない人、各人各様で人それぞれ・・・。この現れ方違いは幼児期 からの育てられ方に大きく作用される。幼い時から小さな事でも越え方を教えられ、 たとえ失敗しながらでも、超える事を繰り返し学習して育った人。一方、子どもに失敗 させたくない、苦しませたくないとの思いから、親切のつもりで子どもの世界に手や口 を出し過ぎ、いつも親が代行ばかりしてしまい、学習出来ず育った人。親や大人の都合 での勘違いの親切、お節介は罪深い。 |
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平成17年 9月 −声と動作− 声と動作の切れには密接な関係がある。今までにこの密接な関係にお気付 きですか。気付いて意識しながらの生活と、気付いていない生活とでは大きな違いが出て きそう。「ハイ!」と「ハアーイ」「オイ!」「オーイ」「こんにちわ!」「こんにちわあー」等、例を あげればきりがない。それぞれの声に動作を付けてみてください。何で、どうして、とび っくりする程動作に違いが出る筈。元気な切れのある声を出しながら、のんびりゆっくり した動作を行なう事は不自然で凄く苦労する。切れがある声は切れがある動作を引き出 してくれる。かっては甘えた子どもの世界のものだった筈の、語尾上げ、語尾伸ばしが 大人にまで、今全盛期とも言える。多くの人が慣らされている、切れのある声とは程遠 いこの言葉から切れのある動作は望めない。挨拶も含め切れがある声と共に生きたい。 |
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平成17年 8月 《どうせ・だって・でも》如何ですか?この言葉をよく使いますか、それともめったに使い ませんか、もし使うとしたらどんな時ですか?三つとも使用した時の共通点がありますが お気づきですか。「どうせ言っても無駄だから」「どうせ許してくれないから」「どうせ 行ってもできないから」「どうせ気付いてくれないから」「どうせみてくれないから」 総てに共通する事は、行動したり考えたりする以前に、自分で勝手に答えを出しているこ とです。しかも否定的な答えを・・・。この答え、この言葉が出てくるのには、人それぞれの それまでの経験がその様にさせているに違いない。《どうせ》で行動や発言をやめてしま うより、まず行ってみる、言ってみる、すると意外に前向きに道が開けていく現実も多い。 自分が《どうせ》と言われる対象にならぬ様、話を聞き状況を知る生き方をしたい。 |
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平成17年 7月 −褒める− 何歳になっても褒められると嬉しいもの。褒めることが大切だと常々言われる。 ある教員が出会う生徒すべてに声を掛け褒めた。生徒の反応は。 喜ぶ生徒はいなかった。 そればかりか、なんだあいつは、おかしいんじゃないのとか、歩く人生相談と言われ相手に されなくなり逆効果のみが強調された。多くの生徒に声を掛け、褒めたのに。何も褒めなか った以前の方が良かった。“褒める”とは認めること。認められると嬉しい。認める為には 見ていないとできない。何を行っているのか、何に苦しんでいるのか、何に悩んでいるのを 知っていないとできない。褒めるとは、関心を持ちしっかり見ている人にだけできるもの。 小さな事でも人知れず陰で行っている事でも、知っていてくれ、見ていてくれ、それを褒め られると凄く嬉しいもの。嬉しくなり心の底から意欲や勇気が湧いてくる。 |
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平成17年 6月 貴方の大切なものは何ですか?家族、親友、命、仕事、お金、趣味等々。家族といっても、 それが子供であったり、奥さんや、父母であったりと立場の違いで変わる。大切なものの為 なら我慢ができる。頑張れる。耐えることが出来る。無理も出来、苦にならない。家族や恋 人であればその人を守る為、喜んでもらう為、悲しませない為、見ていてほしくて褒められ たくて・・。又、大切なものを手に入れたくて頑張れる。大切なものを持っていると勝手な こと、投げやりな行動を取りにくくなる。大切なものに迷惑をかけたくないから。 大切なものを持っている人と持たない人では、生き方に違いが現れ、長い人生となれば大き な差異が生じる。子供の時から、その子にとっての、家族にとっての大切なものを一つでも 多く育ませたい。なぜ大切なのかも知れば益々豊かな心になれる。こんな世の中だから。 |
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平成17年 5月 −喜怒哀楽− 喜と楽が善で、怒と哀が悪の様なとらえ方をされる。現実の生活は、4要素が 入り乱れ繰り返されている。最近は人間の行動とは思えない、怒と哀のニュースが次から次 に伝えられる。こんな時、親・大人が子どもを護るのは当然。しかし、怒や哀を子供に味合 わせないよう護り過ぎると、弱く、甘く、自己中心的な勝手な奴に育つ。 護りきるではなく、怒や哀を共に味わい考え、生きてゆく上で避けて通れないことを知る。 そこで怒や哀を静め解消する術を知り、内容によっては耐えざるを得ないことも知る。また、 なぜ耐えなければならないかも知れば申し分なし。護りきることで、その場は良くても後に 何も生かされない。後の長い人生に役立つ通過法を取らせたい。大人がこの様な生き方が出 来れば世の中は間違いなしに良化する。人が強く、しかも優しくなれる。弱く、甘く、自己 中心的でなく。 |
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平成16年11月 病院の待合室での光景。診察の順番待ちの患者で一杯の部屋。看護師に名前を呼ばれ次々と 診察室に入って行く。名前を二度三度呼ばれても反応が無い。徐々に大きくなる声で呼ばれ てもまだ返事が無い。順番待ちの患者達も、誰だろう居ないのかな、とそれとなく周囲を見 渡している。「お見えになりませんか、では次の方…」とその時、『何度も何度もうるせえ なあ、一度言えば解ってるよ』と何やらブツブツ言いながら動きだした男性。高校生らしき 男が見てはならないものを見るような目で、チラッとその男性を見ていた目が印象的だった。 『何度も何度も…』の代りに『ハイ』と凄く簡単で便利な短い一言が何故言えないのかな、 はしたないと思いながら改めて顔を見てしまった。見掛けはいかにもしっかりとした、ビシ ッとスーツで決めた紳士風の、どう見ても大人の年齢だった。 |
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平成16年 9月 食べてみればすごく美味しい物なのに、まずい物と決め込んで食べようとしなかったり、美 味しい味を知らずそれ程でない物を美味しいと思い込んでいる事がある。少し手を伸ばして 食べるみる事で、自分には出来ない、無理だと勝手に決めて行動しようとすらしなかった事 が出来、こんな力が自分にも在ったのかと知らされる。こんなに美味しく、こんな良い世界 が在るとは知らなかった。一度味わうと忘れられず、また食べたくなる。自らは進んで食べ ようとしないものを食べざるを得ないように仕向けたり、食べたがらないものを、少々無理 をしてでも食べさせる、そんな機会や場を設定し、自分では気付かなかった力を知るきっか けを作ったり、知らせてやるのが大人の大切な務め。子供と接する教員はそのプロでありた い。食わず嫌いで自分の真の力を知らないままの子が多く残念。 |
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平成16年 8月 −体験は宝−「こんなに苦しくて大変なこと、とてもじゃないけど続けられない。続けな ければ駄目というなら、もうどうなってもいい。これ以上良くならなくても」 『こんなに大変なことを良く頑張るね、凄いね、って言われるけど、自分ではそんなに大 変だとは思っていない、それほど頑張っているとも思わない、本当はもっとやれるはず。 あの時、高校時代の部活動の合宿練習等に比べたらまだまだ楽なものだと感じています』 これは、リハビリで全く同じメニューに取り組んでいた二人が聞かせてくれた感想。もう ダメもうたまらない、となるか、まだまだ大丈夫となるか、この違いはどこから来るのか? 性格など人間性からと考えがちだが、最も大きな違いはそれまでの体験の違いにあり、そ の体験レベルが判断の基準になることが多い。“あの時”を持っている人と持たない人と どちらが得か・・・。若い時に1つでも多くの“あの時”を体験させたい。 |
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平成16年 7月 子供たちの誰もが子供の根っこ、芯に生まれながらに持っている明るさ、元気さ、さわやか さ、疲れを知らない活動力等は今も昔も決して変わらない。根っこ、芯に持っているものは 今も昔も変わらないながら、育て方の違いで後には大きな差異が現れる。この素晴しい芯を 隠したり変えたりすることなく自然に育てる人、良かれと思いながら大切に育てたつもりが、 手を掛けすぎ一時期は親にとって都合の良い子になったとしても、結果として抵抗力も育た ず優しさや強さも無く自己中心的でひ弱に育ててしまう人。小学校1年生でも6年、中学生 で12年、高校生となれば15年、まして成人となれば20年、30年と各人各様のプロセス を経て育てられている。長い期間を掛けて身に着いたものが良いもので無く、それを変化させ ようとする時、最も効果的な方法はまず良くないものを一枚一枚剥がし芯に近づくことが大 切。それにはたとえ時間がかかってもとにかく話を聞きながら、心の内を聞き出しながら進 めると効果が大きい。 |
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平成16年 6月 −大半は大人が根負け、そして『子供が悪い』『今の子は…』と言う− 子供たちの外見は 10人十色、みな異なるし昔と今とではより大きな違いがある。しかし、それは外見上の事で あり、内面の芯の部分、子供たちの根っこには昔からの変らない、いかにも子供らしい素晴 しい共通点を見つけさせて貰える。ただ、その芯が簡単に見える子と、なかなか見せて貰え ない子とがいる。この違いは何が原因か、それは、育てられて来た環境によるが、特に親を 筆頭に接した大人の影響が大きい。勘違いした優しさや自主性、個性の名の下に何でもあり、 何をしても許される。これは意地の悪い見方をすると、どうでもいいよ勝手にどうぞと同じ。 または、厳しさの名の下に総てがダメ。がんじがらめに縛ってしまう。こんな育て方が芯を 遠ざける。たとえ遠い芯でも、大人が根負けしなければ行き着けるのに。 |
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平成16年 5月 甘えは人の心を骨抜きに・・・ 乳幼児期を過ぎてまで、親が子供の世界にとっぷり浸かり、 転べば起こしてやるどころか、転ぶ前に支えてしまう。子供のためには、転ばない方法を、 転べば起き方を教え身に着けさせたい。これが子供にとっての本当の優しさであり、親切で はないか。大変な事は総て親が代行し取り除いてやる。この事が、本来行動的で何にでも 挑戦したい。と言う子供が持っている大切な力を不用の物にしてしまう。子供はこの様な 生活に知らず知らずのうちに慣らされ、自ら考える必要はなく、我慢する必要もない甘えき った生活が当り前になり、結果として自らは行動しようとしない人間と成って行くが、子供 に罪は無い。大人の都合からの過干渉・過保護はなんとも恐ろしい。意味のあるプレッシャー を、状況に応じて掛けてやるのが親の、大人の義務であり責任であるはずなのに…。 |
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平成16年 4月 何かに一生懸命になればなる程、様々なルールを増やし囲いを狭めたり強固なものにしたく なる人が多い。一方、囲いの中に居る者にとっては、狭められたり強固になればなる程、息 苦しくなりその場から逃げ出したくなる。囲いの大小にかかわらず、強固に隙間無く囲われ ると逃げ道、抜け道すら無くなる。抜け道が無くなると益々抜け出したくなり、抜け出すこ とばかり考えるようになるのも当然である。どんな囲いでも密閉することなく、必ず何処か に風が抜ける穴、ガス抜きの穴を残しておきたい。密閉され閉じ込められて暴発する前に。 誰にも、例え凄く頑張っている時でも、逃げ出したい時や少しでもその場から離れたい時が 出てくる。これが子供であればなおさらのこと・・・。あまりがんじがらめでは無く、常に幅を のりしろを残しておきたい。より大きな効果、成長のために。 |
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平成16年 3月 大人が子供とのやり取り総てに、正しいもののみを求め“ウソは絶対に許さない”だけでな く、時には承知しながらだまされてやることが、後に大きく生きる。 子供にだまされるな んて、大人としてのプライドが許さない、では無く大人であるがゆえに許せる大人になりた い。知っていながらだまされることが、後のやり取りの中で、信頼関係等を大きく実らせて くれる材料となる。後に笑いながら、知っていたよ“ウソ”だと言うことを…。解っていな いと思っていたのか、それは甘いよ。等と話せれば最高。「あの時はごめんなさい…」少し 照れながら清々した顔で、見事な区切りをつけてくれる。子供との間だけでなく、上司と部 下等大人同士でも時には必要であり効果的に機能する。大人も子供も、苦し紛れに事実と違 う話をする時も有るが、話した本人は自分の「ウソ」を皆自覚しているもの…。 |
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平成16年 2月 果実を育てるには、まず土を耕し、種を蒔き水をやり肥料を与え、多くの時間と労力が根気 良く繰り返しかけられ、その結果として果実が収穫される。苦労して手に入れた果実でも、 総てが満足の行く物とは限らない。中にはほんの少し形が悪いだけで、味とか内容は変わら ないのに、使い物にならず廃棄される物もある。この様に果実のことで考えると、多くのプ ロセスと苦労が無くては収穫できない事は誰でもごく自然に理解できる。ではこれが人を育 てる場合にはどうでしょうか。「今言ったことが分からないの」「今言ったばかりでしょう」「何故今言ったことが出来ないんだ」等、日ごろ多くの場面で何気なく使われている言葉。 これらは総て言葉を発したその場で、果実を、完成品を手にしようと期待していることになる。 たとえ無意識に発している言葉であったとしても・・・。種を蒔き待ちたいものですね。 |
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平成16年 1月 私たちが生活を送っている周囲は雑菌だらけと言っても過言ではない。そこで、大切な子供 をしっかり育てたいがために、乳幼児期に親が神経を使いに使って、子供を無菌状態で育て たい気持も少しは理解できる。 しかし何才までも腫れ物にでも触れるような感覚の無菌状 態で育てたのでは、生活に対する多種多様な免疫も抵抗力も育たず、将来現実の生活を、間 違いなく雑菌だらけの世界で送らざるを得ない子供にとっては、迷惑以外の何物でもない。 無菌状態を作り出すために必要となる、子供に対する過干渉・過保護は、人が成長して行く 自然の流れに逆行するばかりでなく、何よりも大切な人の心を骨抜きにし、自ら考える力、 我慢し耐える力も育たず、ただ甘えた指示待ち人間を増やすだけとなる。この様な状況を作 り出している親や大人に対し、幼い子供達は残念ながら無力で何もできない。 |
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平成15年 8月 何かに失敗し挫折した者が、その後大きく見事に成長して行く姿を何人もから幾度も見せ られた。しかし、屈折した者が成長する姿には、残念ながら一度も出会っていない。何か に失敗し挫折した時、何故なのかを屈折することなく素直に見つめ、素直に認めることに より、目標に向かっての新たなスタートが切れる。屈折している場合は挫折と異なり、まず、 捩れたり捻くれたりして屈折した部分の修正が優先してなされないと、成長など先への展 望は決して望めない。挫折と屈折、語感からは似通っているようでも、後の成長につなが りやすい挫折とつながりにくい屈折とでは大きな違いがある。成長につながりにくい、捩 れたり捻くれたりの屈折を自分がしないばかりか、他人を屈折させたりすることが無い生き 方をしたい。まず、自らが素直に生き、そして周囲をも素直に生きさせたいものですね。 |
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平成15年 6月 入口から入って来て、凄く明るくなった感じがし、うきうきと楽しくなる」「見事な 環境で気持よく泳げ、素敵な時間を持て幸せです。感謝しています」お客様から、こ んな凄く嬉しい声を頂きます。プールで総てに優先すべき事は、まず皆様の安全、そ して水質を始めとした施設と環境の整備です。しかしどんなによく整備された施設で もそれで心地よく過して頂けるか、となると絶対に欠かせないものがまだあります。 それは“人”です。挨拶は人の心と心を近付けます。しかし挨拶の有り様によっては、 遠ざけもします。大きな声で元気良く、と言われますが、どんな時でもただ大きければ、 となると、それは“挨拶”では無くただの掛け声です。声なしの目礼のみにすべき状況 もあり、その場に合った、心を近付けられる挨拶でお迎えし気持よい有意義な時をお過 ごし頂けるようにしたいものです。 |
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平成15年 3月 そんなこと当たり前じゃないか・・・。それは常識だよ。これが普通だよ当然じゃないか。 等と言われれば、そのことは何処でも同じであり正しいこと、と考えるのが一般的。 ところが現実は家庭により人により各会社により学校にもより、学校内では学年、クラス そして部活動によっても異なることが多い。それぞれの集団に於ける「当たり前」 「常識」「普通」が、たとえ間違えていることであっても、その集団ではそれが「当た り前」「常識」「普通」と思い込まれているから恐ろしい。かつて大人の、子供の、 日本人としての広範囲な「当たり前」があったような気がする。先に生まれたものの義 務である、継承すべきを継承してこなかった、出来なかった大人のツケばかりの今の世、 子供達が可哀想。 |
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平成15年 2月 “立春”を光の春、と素敵な表現がされる。厳寒期なのに光の量、明るさ強さは日々 確実に増している。寒さが厳しい時、身体は筋肉を緊張させ産熱し身を守る。意識と は関係なく身構えてくれ、私達は助けられている。では、意識が心が構えたらどうか 。構えて結果が良い事はまずない。内心何かまずい事がある時、他から指摘されたと する。構えていると “うるさいなあ、ほっといてくれ、何が悪いんだよ”と、例え口で 言わなくても目や態度がそう言ってしまう。全く同じ状況でも構えていないと“ごめ んなさい”の一言と笑顔で終ることが多い。子供と大人、部下と上司、子と親、生徒と 教員、構えず、構えを取り除いてやる立場の人が、逆に構えさせていることが多く残念。 構えると疲れ、長続きせず失敗し負ける。構えず、構えていれば解いてやる、そんな 生き方が出来れば・・・。 |
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平成14年11月 “便利さ”が私たちの生活に、時間や労力のみならずあらゆる面から多大な恩恵をもた らせてくれている。便利さと共に私たちが成長すれば最高。でも、そう都合良くは行か ないようです。便利に慣れることにより、横着に、贅沢に、生意気に、そして欲深くなり、 人間が本来持っている素晴しい力を発揮する必要が無くなり、その力を忘れ、必要な場 面に臨んでも何も出来なくなってしまう。便利さは大変ありがたい反面、人間の最も大 切な心を蝕む怖さを含んでいる。こんな世でスポーツを行うことは最も贅沢で、便利が 入り込めない原始的な世界です。水に浮かび進む水泳はその最たるもの。水泳で思い切 り不便に挑戦。今不便が最高の贅沢。 |
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平成14年10月 挨拶をするつもりでタイミングを逸して出来なかったり、ゴミを拾うつもりが蹴ってしま ったり、電車等で席を譲るつもりが寝たふりに変わってしまったり・・・。周囲の目が気に なっり、照れくさかったり、意気がったりして・・・。結果としてすっきりしないものだけ が心に残る。こんな経験を大なり小なりお持ちではありませんか。今の世、なんとなく良く ないことを行うのに勇気がいらず、正しいことを行うのに勇気が必要、こんな逆転現象す ら感じられます。ほんの少しの“チョットした勇気”でお互いがさわやかに気持ちよく生 きたいものですね。その気があり、気がつきながら行動できないなんて、あまりにも残念・・・。 |
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平成14年 9月 人の好みは各人各様で当然。「どんな人が好きですか?」との問いに「優しい人」との 回答が凄く多いですね。“優しさ”が私たちが生きて行くうえで欠かせない大切なもので あることに異論は無いのですが、その優しさについて考えさせられる時が多々あります。 それは自分の希望を何でも聞き入れてくれる人、自分の思い通りになる人を優しい人、 と勘違いしているのでは、ということです。優しさは人を大切にし、しかも人を育てて くれます。甘さや弱さは結果的に人を粗末にし、人を崩してしまう大きな要素です。手 を出したくても、口を出したくても、黙って見守る優しさも大切にしたいものですね。 辛い事が多いですが・・・。 |
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平成14年 8月 夏は暑いもの。と、誰も皆承知している。しかし、いざ暑くなると、ついつい口から 愚痴が出る。「暑い」「暑い」と・・・。いくら「暑い」といっても何も変化せず、涼しくなる はずも無く、イライラが増すばかりなのに・・・。夏が暑くなければ、また梅雨時には雨 が降らなければ、育つべきものも育たず私達の生活に支障をきたす事も多い。時には 暑さで思い切り汗をかき、暑さと仲良くしたいものです。もうすぐそこに、暑い季節が 懐かしく、もの悲しささえ感じさせられる時、秋が待っています。 |
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